1995年の思い出


 

 当時、私は、時代は変わる、少なくとも欧米の経済界は変わる、と睨んでアメリカ取材に飛び出している。その折に、アメリカの長女と呼んでいるリズさん(わが家で1年間ホームステイした第1号)の生家を訪れ、その両親と再会し、歓待されている。

 リズさんから初日に、やすむ前の注意や、起床時の注意も受けた。やすむ前の方は、洗面所のドアーの扱いだ。家族と気兼ねなく洗面所を共用するためのサインであった。起床時はベッドメイクだ。きっとリズさんは、この家族が日本人に対して抱いているイメージを私が崩さないようにさせたかったのだろう。

 朝は小鳥とともに起き、そっと抜け出し、庭の一角を散策した。

 広大な屋敷の一角(父親が水道も引かれていないときに買い求め、開拓時代のごとく家族で切り拓いた屋敷)に200〜300坪の畑地があった。その活かされ方も慎重に観察した。

 その後、もう大丈夫、この家の文化に即したやり方を、ひょっとしたら新たな文化にしてもらえそうなやり方を、演じて見せられそうと思うに至り、留守番をいいことに鍬を握った。

 最初に、それに気づいたのは父親だった。上階のゲストルームで書き物をしていた時に、庭から父娘の会話が聞こえてきた。父親は私の鍬の使い方を「日本人のやり方」と見て感心し、「学ばなくては」とばかりに、そのありようを娘に話しかけていた。

 この両親は、リズさんがホームステイを始めて2〜3カ月目の真冬に、わが家を訪れたが、そのおりのニューイングランド(はるかに寒い母国のわが家)への土産として持ち帰ったものがある。それは「日本人のやり方」と見て感心したアイデアであった。1つは部屋を個別に暖める「石油ストーブ」。他の1つは、家族が順に共用しドップリ首まで浸かる湯船のある風呂であった。