妻はしばしば自分で収納したモノ(を、あるいは収納したこと自体)を忘れる。その「忘却率」は私よりはるかに高い。だから、私がそれに気づいた時は指摘するが、妻は「また忘れていました」などと率直に声に出して反省しない。それでは「忘却率を減らせないゾ」と、私はしばしば「叱る」。もちろん私もよく忘れるが、そうと気づいた時は「また忘れていた」と「反省の声」にすることにしている。その方が忘却率を減らせえそうに思うからだ。
問題は、この私の「反省の声」よりも、妻を「叱る」回数の方が遥かに多いことだ。しかし、妻はこうして皮肉ることで、私の忘却率をクローズアップし、バランスがとれたような気分になるのかもしれない。たとえて言えば、その率が100対0であったものが100対1になった時に、その1つを鬼の首をとったかのように強調し、100対100になったかのごとく思うのだろう。
加えて、この度はもう一つの問題にも反省させられた。野草を疎かにしていたことに気付かされたことだ。栽培種は、次々と新品種が新たな名前を与えられて登場し、やがてその多くはあきられて忘れ去られるの、いったん覚えたら不滅の野草の名前を憶える努力を怠っていた。
だから妻の皮肉を気持ちよく聞き入れ、善後策にこそ注力すべきだ、と思った。とりわけこの日に、日本の保険医療費が39兆円を超えたことを知っており、「人間の定義」を見直さなければいけないほどの問題にもなりかねない、と危惧している。
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