憮然たる気分

 

 わが国は今、岐路に立たされている。政府は、未来世代に残す借金を積み増しながら諸外国に対し大判ふるまいを繰り返し、存在感を示そうとしている。これは、私の目には却って孤立化を進めているかのように見える。

 国内にあっても「どこまでやれば目が覚めるのか」と言いたいことが多発している。なんとかして借金を減らしながら尊敬される政府を目指し、未来(世代)に備えるべきではないか。

 まず、1枚の新聞切り抜きが目に留まった。かつては最上位を誇っていた時期がある世界競争力ランキング(ダボス会議で知られる)の記事だった。昨年は144か国の中で9位から6位に上がった、と報じていたが、大問題を含んでいた。最上位を誇っていた時期は、その源泉としてわが国は終身雇用と年功序列(賃金)をうたいあげていた。つまり、人を大事にする国として胸を張っていた。そのころはまだ、財政赤字は悲劇的とは思われていなかった。ところが、6位に返り咲いていながら、その半面で2つの悲劇的な事態を生じさせていた。

 勤労者の雇用や解雇のしやすさランキングでは133位であり、とても人を粗末に扱いやすい国と見られるに至っている。また、財政赤字は143位であり、笑ってはおれないブービー賞だ。これでいいのか、と心配だ。

 そこで思い出したのが、世界でロボット化が始まりかけていた頃のことだ。フランスなどでは勤労者が「我ごと」とし受け止め、大反対の声だけでなく、ストを繰り返していた。他方わが国では、こぞってロボット化に狂奔しており、近代化を進めている企業に帰属していること勤労者が誇りにしているかのように見受けられた、と記憶している。

 次いで、歯がゆい思いで、読後感のまとめに入った。旧日本軍の兵士の中に「己の正気」を自覚したくて、住民を殺さず、慰安婦に関わらないことを心に決めた兵士がいた、との解説文に心惹かれ、読み漁った本だ。

 慰安婦と恋仲になったにとどまらず、妻に迎えた兵士がいた、との下りは意外だった。他の余りにも凄惨な記述を中和するために、あるいは逆に強調するための、誇張か作文ではないかと思ったぐらいだ。たとえば、意の沿わずに見せしめとして股裂きに処された人もいる。さまざまな生き抜き方もあったことだろう。

 「朝鮮たち(慰安婦)もみんなも「国防婦人会」に入っていて、天長節そのほかの記念日や、祭日には、「国防婦人会○○支部」と黒く白いタスキをかけ、同じ服装をした芸妓たちと並んだ。すると、にわかに、そのときだけ、最前線にも、兵隊たちにとって故国に帰ったような媚(なま)めかしさが漂った」

 前線では「チョーセン・ピーやないか、とさげすみ、うえた狼たちが牙を鳴らして自分たちの餌食を待ちかまえていた」

 これは「マズイ」。敗北の種(残虐が故に、軍の統制が計れ、敵兵をおののかせて戦果を挙げた)をまき散らしながら、戦勝を誇らせ、勲章の数を増やさせていた事例も見られた。これはビジネス戦争でもよくある話だ。文字にしたくない非道も「裸女がいる隊列」は紹介していた、

 それよりもなによりも、これは小説の話しだ、と思いたかった。だがすぐに、敗戦後の東京などの軍の主要部では連日空を焦がすほどの証拠隠滅、記録の焼却処分が繰り返されていた、と聞く。償却し切れていない記録はないか、と気にする向きもあるだろう。

 折悪しく、この4日から5日かけて、後味のよくないニュースが重なった。

 オランダのティマ―マンス外相はハーグで3日、戦時中のインドネシアでの日本軍の振舞を非難した。慰安婦問題は「強制売春そのものであることに何の疑いもない」「これが我々の立場だ」と言明し、昨今の日本の動きを牽制した。

 カナダ・ウォータールー大学で国際安全保障を講じるD.ウェルチ教授は、南京虐殺や従軍慰安婦問題を否定したり過小評価したりすることは、道徳的に言って、ナチスのユダヤ人大虐殺を否定するのと同じ範疇に入る、と語った。

 問題は戦争だ。9条を持たないドイツは、詭弁を弄せず、勇気と自信に満ちたかのごとくに過去との決別を今も重ねており、信用を固めている。