予期せぬ余禄
 


 植物辞典をすぐに取り出せるようにスペースを作ったわけだが、仕舞い込んでいたレコードの処分も検討課題になった。自分で行っていなければ「全部捨ててもいいよ」と言っていたに違いない。しかし、そうはいかなかったわけだ。つまり何が大切なのかを推し量る(いわば流行と不易を峻別する)判断基準の刷新が新たな検討課題になってしまったからだ。

 まず、若かりし頃の思い出にとらわれた。バルセロナでフラメンコダンスを見た。妻とアテネに立ち寄り、映画『ゾルバ』を思い出した、など。そのいずれでもレコード店に飛び込んだが、「何時の日にか」と思って買っていながら、未だ一度も聞いていなかった。またぞろ「何時の日にか」と考えて、それらは残した。

 やがて、心臓は持ちこたえたのだが、視力がダメになった、という時期を迎えることもあるだろう。その時の楽しみにしよう、と思った。その直後に、もっといいことは、ついに聞く暇がなかったと思いながら息を引き取れることではないか、とも考えた。

 寮生時代の思い出にもとらわれた。快晴の日曜日だった。なぜか京都に帰っておらず、寮で目覚めている。きっと、それなりのわけがあったのだろう。3階の自室でまどろんでいると下階から快適な音楽が流れてきた。ズッペの軽騎兵だった。

 何処でこの1枚を手に入れたのか、思い出せない。だが、もう一度聞きたいと思い、残した。きっとこのころであったと思う、ステレオを買っており、今も残している。

 もっと思い出深いものも出てきた。フランス・クリダさんをわが家に迎えた日が1985年12月15日であったことが分かった。松平佳子さんはまだ健在だった。いずみたくさんも思い出した。初めて「ふとまき」を教えてくれた(寿司屋で振る舞ってくれた)人だ。サミー・デービスJr.も思い出した。ヤシの並木があったビバリーヒルズだった。小柄でおだやかな人だったが、その迫力に圧倒された。その日も知らされていたと思う写真を探したが、見当たらなかった。