不謹慎だと分かっていながら、網田さんと「好み合わせ」を試みた。展示されている一群の作を限定し、この中から「1つだけあげる」と言われたら「どれを選ぶか」を試みた。「オマエなどにやるか」とか「オマエに分かってたまるか」と言われることをあえてした。不思議なことに、幾回か試みたが、かなり好みは一致した。
古田織部は家康に、先利休は秀吉に殺されたが、その意図は大きく異なるはず。古田織部の作為を好まない私だが、当時「この作為を打ち出した」意義は、たいしたものだ、と思う。問題はその後のことだ。後世の人が、この作為に倣うような例をよく見るが、私には気の毒に見えてならない。時にはとても苦しそうに見えてならない。この度は、そのとどめを観たような気分になれたことがよかった。
利休百首によれば、
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて 飲むばかりなることと知るべし」
「茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合せにせよ」
「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」
を思い出しながら、出展されていた千利休の竹の花活け「園城寺」、小井戸茶碗(当時は朝鮮庶民の飯食い茶碗で、利休が見立てた)の一つ「老僧」、あるいは本阿弥光悦作黒楽茶碗「時雨」などを観ることが出来てよかった。
昼食も楽しかった。多治見に到着し、まずウナギ屋で腹ごしらえをした。さて「どうするか」と考えた末に、私一人、鶏のショウガ醤油炒め定食を選んだ。毎年土用の時期に、ウナギのかば焼きをもらうが、これをもって一年分のウナギにしよう、とこの土用に決めたことを思い出したからだ。
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