工事の意図
 

 どうしてこの業者を選んだのか、といったような質問があった。他にも獣害対策フェンスの需要に備える業者があるが「なぜここを」との質問、と受け止めた。そこで、なぜかこの若者に賭けたくなった、と簡単に応えた。今もそれでよかった、と想っている。

 この若者たちに(これだけは従ってほしい、という控えめな)注文を付けたが、嫌な顔をせずに取り組んでもらえた。つまり、この若者たちは、獣害対策だけに目が向いており、「いかにあれば美しいか」に目が向いていなかったからだ。しかも、獣害対策の面でも不十分なとこを残していた

 要は、私の目(少し厳し過ぎるのかもしれないが)からすれば「まるで素人だ」と思われた。だけど、将来の可能性に期待して控えめな注文にとどめており、なんとか60点の出来ばえにした。仮に、私が願うような仕上がりを求めていたら、時間は2倍では済まなかっただろう。しかし、この度の私の注文で、彼らは自分たちの頭で考えるようになり、きっと数年もしない内に、8掛けの時間で、100点を採る出来栄えを誇るようになるに違いない、と期待している。

 この若者たちに好意的になれたのは、もちろん、私自身の若き頃を振り返らせてもらえたからだ。多くの人に助けられた、今に至ったことを思い出すことができた。

 どうしてこの工事をすることになったのか、と言ったような質問もあった。その時に私は、私の余生を考えたら「採算が合わないこと」をしている、と見抜かれたかのように気分にされている。確かに、工事や管理に要する経費を、すべて野菜の購入代金に振り向けたら、おつりがくるだろう。しかも、私はそれ相当の時間と労力を投じて農作物を育てなければならない。

 にもかかわらず工事をする気になったわけだ。だから、この質問は「待っていました」とばかりに応じている。その第一の理由は、イノシシやシカとわが家の鬩ぎあいに疑問を抱いていたことだ。つまり、シカやイノシシとオオカミとの関係のような健全な関係ではない、つまり持続性のある関わり合いを保っていないと気づかされ、この点をまず補正したかった。

 オオカミと違って人間は、ある時は捕りすぎて絶滅させ(かけ)たり、一転して保護する法律を作り、獣害に泣かされる人を生み出したりしている。その悪しき一翼を担っていたような気分にされ、その補正をしたかった。要は、餌付けのようなことを止めなければ、との思いが第一だった。

 しかもそれが『エコトピアだより』で紹介したわが家の生き方を、加齢を乗り越えてに継続させる上で、極めて有効と思われたからだ。つまり、この生き方に踏み出し、貫くには、途中でくじけないようにしておくことが大事、と思ったからだ。言葉を変えれば、虚脱状態にならずにすませる用心が肝心ではないか、と思ったからだ。

 同時にそれが、『エコトピアだより』で提唱した生き方に踏み出す人に、過剰な負担をかけずに済ませる一つのヒントに出来そうに思えたことだ。言葉を変えれば、虚脱状態になって途中で脱落する人を減らすうえでこの工事は有効ではないか、と思ったからだ。

 わが家の場合は、獣害に襲われるたびに、「オルタナティブ」の喜びを感じ、妻も「ナニクソ」と思ったようだが、「ナニクソ」を他の人にも期待したいが、強要はしたくない。

 

獣害対策の面でも不十分なとこを残していた

若者たち