後期高齢者の責務

 

 かつて私は主だった新聞全紙に目を通していた時期が(20数年間)ある。勤め人をやめた後は4紙を購読していた。それらの体験と海外でのクオリティペイパーとしての評価などを参考にして、70歳を境に朝日新聞に絞った。そこに、この度の問題である。

 他の全国紙のどれかに変えるか。共同通信の記事にも触れられるも地方紙にすべか。と、随分悩んだ。年金をもらう立場になっただけでなく最早後期高齢者だ。老眼鏡の度も、5に近い。複数紙購読を再開する考えはない。どの1紙を選ぶべきか、で悩んでいる。

 今のところは(このたびの一連の問題を私なりに検討し)朝日新聞をとり続けている。とはいえ、このたびの問題があって以降は、機会さえあれば他紙にも貪欲に目を通すようにしており、いつ方針を変えるか知れたものではない。

 そこで、思いついたのが後期高齢者の責務である。過去の過ちに学び、同じような間違いは繰り返さないようにしたい、との想いである。

 かつて、新聞などのマスコミはこぞって重大な間違いを犯している。それは、「敗戦」に結び付けた侵略戦争に、新聞などのマスコミは(大本営発表の真偽を確かめず、こぞって情緒的に増幅するなど)チョウチンを付け、国民を欺き続けた。

 もちろん当時は、大本営発表を信じたい気分にマスコミもかられ、その勇み足がチョウチンになったのだろう。逆に、疑ってかかり、その偽りを明らかにしようものなら強制的に廃刊に追い込まれたのではないか。それはともかく、国民の大多数も、チョウチンを期待する気分になっていたに違いない。私の父も、新聞やラジオの情報をひたすら喜んでいた。

 そのような過ちを、つまり迎合を新聞などのマスコミには繰り返してもらいたくない。

 もちろん、各新聞はかつて、戦中のその過ちを一様に反省している。問題は、どの新聞がその反省の念を固く保ち続け、同じような過ちの路に国民を誘わないようにし続けようとしているのか、私は見まもり、検証しながら、選択したい。レビュー(読み直しが)しやすい新聞は私にとって不可欠だ。

 その健全な検証と選択が、後期高齢者の責務の1つであるように思われる。