「遊」
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この日の最高の遊びの時間でした。わが家にある自然石の中から、「これゾ」と思う石をかき集め、この踏み石を作りました。かくのごとく、思った通りにピタッと収まった時は、えもいえない喜びを感じました。 この度は5つの石(をかき集め、使わない石は1つ)で済みました。かつてなら、10も20もの石を運んで来て「ああでもない」「こうでもない」と苦心惨憺したものですが、加齢とともにその数を減らしており、非力とスタミナ切れを嘆かずに済ませています。 ですから、「これゾ」とばかりに白川静先生が説く「遊」の心境になれました。完全な「自由」と「創造」の一時であり、没我の時間でした。週記から 20140622 ジンとくる 実は、その逆の時間になることを恐れて、大事な母の花壇を崩れたままに放り出してありました。それはかつて、あることに調子づき、膨大な時間を「遊」の時間としてつぎ込み、今は亡き母を喜ばせた花壇の石組みです。あることとは、踏み石を買い求めずに小石をかき集め、2日がかりで踏み石もどきを作り、母を喜ばせた思い出です。 その石組の縁取りを崩したものですから、放り出したままになっていたのです。なぜなら、元に戻す作業は「遊」の反対で、「退屈」と「反復」のような時間になり、労苦に過ぎなく感じられるからです。 そこで、すべての石を取り払い、自然(雨やコケ)が次第にきれいにする補修を思い付いた次第です。 |
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思った通りにピタッと収まった |
踏み石もどきを作り |
自然が次第にきれいにする補修を思い付いた |
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