無二の親友夫人

 商社時代に知り合った友人だ。彼は地方都市の中堅企業の御曹司として生まれており、いわば留学生のような形で入社した社員だった。独身寮では、それほど交流があったわけではないけれど、きっと私にだけ相談してくれた案件があった。結婚問題だ。

 彼には恋人がいたが、親が勧める仲人口との間で板挟みになっていた(ように見受けられた)。るる聞かされた私は、東京出張の折に、2度3度と彼の家を訪れて、その家族と面識を得ている。朝夕に振る舞われるご飯の麦飯が、とても印象強く残った。その母親は、自家水田で米などを育て、社員食堂でも振る舞っていた。

 彼の恋人は、都会生れで都会育ちではあったが、私は恋人との結婚を支持した。結婚すれば、次期社緒の妻として、「この家族と一緒に住み」「この母親に仕込まれることになる」と想いながら、彼が語る恋人象に肩入れしまったわけだ。

 やがて、彼は退社し、結婚した。息子や娘も生まれたようだが、交信は年賀状程度になっていた。その後、何がキッカケであったのか、よくは記憶していないが、再訪した。そこで、初めて彼の恋女房や2人の子どもともであった。彼女は堂々と旧家を取り仕切り、両親はすっかり彼女に依存していた。私は夜分に訪れ、振る舞われたうどんにすっかり魅せられた。

 その後、彼はその地方の企業仲間の幹事となり、講演の要請をしてくれたことがある。今から、25年ほど前のことだ。「私の話は、一回ではハレーションを起こす。せめて5回はさせてほしい」とたのみ、実現した。だから、半年にかけてその地方を訪れ、その都度彼の家で、両親時代と同じように泊めてもらった。

 2度ばかり、企業仲間を引き連れて、京都に来てくれたことがある。もちろん、その間に、私たち夫婦は2度ばかり招かれ、一緒に温泉旅行を楽しんでいる。彼ら夫婦にも、わが家を訪ねてもらえたし、次第に家族のようになっている。息子の仲人もした。

 妻は1人で、展示会で出張した折に、彼の家で泊めてもらったこともある。彼の息子が、一人で遊びに来て、母を実の祖母のように扱ってくれたこともある。こうした親交が続き、無二の親友関係になってしまった。

 その彼は心臓を患い、無事に復帰。企業仲間と訪れ、それが最後の出会いになった。そう時を経ずに訃報。奥さんから葬儀委員長に指名され、訪れた。

 会社は息子に引き継がせ、彼女は孫の世話と社員のマカナイをしている。もちろん、水田も守っており、毎年玄米を送ってくれる。無二の親友を失う辛さは、この上ない。