命の重みの格差


 

 『ああ無情』では、貴族は「ジャンバルジャン」の子どもを馬車で敷き殺した。そして、金貨を放り投げえた上で走り去った(と記憶している)。なぜか、私は、最近同じようなむごいことを己がしでかしていたことに気付かされた。

 御嶽山での水蒸気噴火で痛ましい犠牲者が出た。その最後の1人の遺体まで、早く見つかってほしいと願った。同様に、太平洋戦争での犠牲者の遺骨を早く弔ってほしい、と願った。にもかかわらず、大事なことを忘れていた。

 親しい人に、冷や水を頭の上からぶっかけるような助言をされ、それに気づかされた。それは、自殺者の多発を指摘することから始まった。

 江戸(農業)時代では、社会の底辺を支える人たち(生産者など)は自殺を禁じられていた。対して、今は禁じられてはいない。どちらが命を大切にしているのか。

 もちろん、自分の意思で死ぬことさえできないなんてマッピラだ。その証拠に、不慮の死を遂げた人の捜索に、延べ何千人もが投入されることを期待していたわけだ。

 しかし、大事なことを忘れていた。次の指摘にハッとさせられた。不正規労働が合法化され、正規労働者のリストラが始まってから、自殺者が倍増している。今も、毎日80人近い人が自殺している。大事なことを忘れていた。