英文表示の必要性 |
またもや喫茶室でさわやかな出来事が生じた。そうと知らされた私は、懐かしげに過去を(足しげくアメリカを訪れていた頃を)振り返った。 このところ、妻の人形がキッカケで、楽しい出会いが増えている。素敵な中国人女性の観光客(後日、妻にピンク色のチュニックを届けてくださった)しかり。フランス人一家(2人の子どもが飛び入りで人形作りに取り組んだ)など。 この日も、人形展示室を覗いた来店客との間で極めて楽しい触れ合いが生じていた。このたびは、アメリカ人女性の3人連れだった。残してもらえたメールアドレスを見て2度感激。ニューヨーク州イサカの人たちであったうえに、コーネル大学の関係者だった。 アメリカには、うらやましく思われる大学都市がある。たとえば、人口15万人の半分が大学生と大学関係者、といったようなこじんまりした地方都市だ。イサカもきっとその1つであろうと思われる。なにせ、有名な地域通貨・アワーズ(時間)を発行し、流通させている。 なぜアワーズなのか。たとえば、子どもがお隣のおばあちゃんに頼まれ、リュウマチの脚を1時間かけてさすれば1アワーもらう。その子どもが病にかかった時に、1時間かけて名医に診療してもらえば1アワーが支払われる。ともに対価は1アワーだ。30分ならハーフアワー。クォーターアワーの紙幣もある。この街では、持てる力を、心を込めて活かしたひと時は、同じように尊い、と考えていようで、等価交換の価値を見出している。ここにも私は、ポスト消費社会(時代W)の到来を予感している。 住民はスペインからの移民が主で、農家(ニンニクが主産物)が多い。学生や大学関係者は全米から集っているのだろうが、なごやかに過ごしている、と聞く。 この街・イサカから訪れた女性3人にも、ゆったりした時間を過ごしてもらえたようだ。 それもこれも、リズさんと後藤さんのおかげだ。 あえて付け加えさせてもらえば、妻の願いを快く私に受け入れさせた私の体験のおかげだ。 妻の願いとは、人形教室の茶話室を、喫茶店として開放したい、と妻が言い出したこと。私は、海外旅行での体験を振り返ったりしながら、相当の覚悟を(28年前に禁煙などの条件を付けるなど、利害を超えた判断を)して受け入れている。 日本がまだ貧しく、欧米との所得格差は数倍もあった頃の体験を思いだしていた。西ドイツ・ミュンヘンでのこと。郊外の民宿しか取れず、コンベンション会場までバスで通ったことがある。ある日、暗くなった田舎町で、激しい腹痛に襲われた。ポッと明かりがともったスナックと思われる店が目に留まった。ドアーが開いた、その時の記憶。温かいレモネードがハラワタに滲みた。 ある都市の郊外で、高台にあったビストロに瀟洒な濃緑色のパラソルが並んでいた。入りたかった。しかし値段が心配で、入れなかった。 それはパリの街角にあった。なんてことのない出入口だが、ミュージアムとの小さな表示があった。入ってみて驚いた。そこはある彫刻家のアトリエの跡。同時に、職人だったその父親の仕事場の跡でもあった。彫刻家の習作や、石膏の原型もあった。こうしたアトリエめぐりをするようになってから、美術品を鑑賞する態度や興味がすっかり変わった。そこに、真の「遊」、つまり完全なる自由と創造の時空を見出すようになったからだ。 リズさん(人形展示室を開放した事情も彼女は知っている。その建設途中に彼女はわが家に立ち寄ってもいる)に簡素な英文にしてほしい、と頼んでよかった。 片や、日本語表示の検討にも入った。 両者を突き合わせ、考え込まされた。力点の置きどころが違う。 同時に、在りし日も思い出した。リズさんの同時通訳でアメリカ取材の旅をした18〜19年昔のことだ。同時通訳の難しさを思い知らされたエピソードだ。 エネルギー省の長官筆頭補佐官は、リズさんに「あなたは森さんの心を翻訳しているのでは」と言ったような質問をした。私は「リズは、私のアメリカの長女ダ」と応えた。とても丁重に応対され、初対面の人と夕食を共にすることもできた。しかも、とても微妙な対話もできた。 さて、「どのような案内板にするか」との検討に入った。あり合せのポスターを活かし、切り貼りして作り上げることになった。後藤さんに、日米の文字だけでなくアイトワのシンボルマークも入れてはどうか、と提案された。 切り貼り作業は翌月曜日の初仕事にしていたが、雨が上がっていなかった。 書斎の天窓が、陽が射し始めたことを教えた。10時前。ワークルームに急ぎ、学生時代に用いたT定規をとりだし、やおら縁側で切り貼り作業にとりかかった。 願っていた通りに「出来上がった」と、その喜びを後藤さんに伝えたくてケイタイ。 返事は、「アイトワに向かっている」。 即刻、継ぎはぎ部分の修正を妻に指示。義妹が(アクリル絵の具で)引き受けた。 後藤さんが到来、ラミネート加工を頼んだ。 かくして5時前に完成品を届けてもらえた。後藤さんは、ラミネート屋に加工を依頼した後、一仕事をすませ、その上でとりに行き、その足で届けもらえた。妻も歓声をあげ、工房にとって返して最近完成したばかりの2体の人形を持ち出し、後藤さんに見せた。 同時に、この日のインドネシアの来店客の話を添えた。最初は2人の若者だった。その2人を見送り、忘れかけていた時に、数名の仲間を連れて再訪してもらえた、とか。 |
両者を突き合わせ、考え込まされた |
縁側で切り貼り作業にとりかかった |
5時前に完成品を届けてもらえた |
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