長野旅行の余韻
 

 こんなところに発売元があったのか、と思わず懐かしい気分にされた。旅程を1日延ばし、民宿を探している最中のことだ。馬籠の散策をそうそうに切り上げ、薄暗くなり始めていた奈良井宿にたどり着き、軽4輪をゆっくり走らせながらその民宿を探した

 馬籠はもとより、妻籠も確か、家並み通りの中に自動車では乗り込めなかった、と思う。妻が「是非とも」と勧めた奈良井宿だが、自由に車で乗りこめた。家並みは長々と続いた。最初の印象が悪かったし、ボツボツ民宿が見つかってもよさそうなのに、と気が急いた。あるいは通り過ごしてしたのだろうか、と少し不安にもなったせいか、妻はどうしてここを勧めたのか、と疑問に思った。

 後で分かったことだが、奈良井千軒と言って、日本で一番大きな宿場であったという。

 家並みの前には所々で車が止めてある。馬籠では車を、家並みから相当離れた裏側にあるパーキングに停め、家並みまで徒歩で目指さなくてはならない。その時の印象と違い、奈良井宿は車で乗りこめた。それがまず意外であっただけでなく、安っぽく感じられた。

 それは、この家並みと並行した走る裏側の道で見た屋並みの印象がそう感じさせたのだろう。統一感のない木造家屋がびっしりと並んでいた。車窓からその家並みを眺めながら、どこに期待の家並みがあるのか、と不安にさせられたほどだ。

 この裏通りみた家屋と、昔の面影を残す家並み通りみる家屋は、どうやら繋がっているようだ。それは後刻、民宿の各室に用意された宿の避難路案内図で知っている。宿の主人は、中庭を壊した、といったが、京都の「うなぎの寝床」をしのいでいる、と思う。

 網田さんは、遮断機のない狭い踏切があるところで右に折れ、踏切を越えてしばらく走ると、やっとそれらしき家並みが続く路が見え、そこでまた網田さんはハンドルを右に切った。

 ここが、妻が勧めた奈良井宿か、と疑問に思いながら、家並みの片側を一軒一軒確かめながら車を走らせた。「もう近い」と網田さんは思ったようだ。「これが満室だった(断られた)旅館」だ、といわんばかりに反対側の家並みの一軒を、首を振って教えた。

 この日は、満蒙開拓平和記念館を後にする昼前に、一泊延長して奈良井宿で泊まることを決めている。そこで、まず妻籠を目指したが、ほどなく道中で観光案内所を見かけ、情報を手に入れた。御嶽山の風評被害で旅館はガラガラだろう、との情報だった。

 妻籠と思って踏み込んだ家並みはまだ馬籠だった。馬籠から次の宿場・妻籠までは近い。でも馬籠散策を「もういいや」と早々と切り上げ、妻籠を飛ばしてよかった。奈良井宿までは相当の時間を要した。後で分かったことだが、その間に宿場が8つもあった。

 JR奈良井宿駅だろう、と思い、そのパーキングに車を止め、乗り込もうとした木造駅舎のような建物には人の気配が感じられなかった。すでに薄暗くなっていた。引き戸を開けると、プーンと良い匂いがたなびいてきたが、もうそれだけで嬉しくなった。

 ここは観光案内所もかねているのか、1人で居残っていたような男性にていねいに対応してもらえた。まず、「この匂いは」とその中年で大柄の男性に問いかけた。それもよかったようだ。香ばしそうなコメの匂いだった。期待通りに、「五平餅」「2本下さい」「温めるのに少し時間が」と話が続いた。その間に宿泊の予約をした。

 まず網田さんが、勧められるままに問い合わせた旅館は休んでいた。2軒目の旅館は満室、と断られた。その男は「急に声をかけても無理ではないか。夕刻だし、食材の仕入れには遅すぎる」といったようなことを言いのこし、五平餅を温めに隣室に消えた。

 やむなく、手渡された家並みの地図に従って、私が電話番号を読み上げ、網田さんがスマホを操り、民宿に問い合わせた。一発で宿は決まった。これが、この旅をとても楽しく仕上げることになった。その予感だったようで、少し気を良くして、土産物を買い込んだ。

 満蒙開拓平和記念館では、日本という国の体質を思い知らされている。それだけに、嬉しくなった。国の都合で、国民を無益で勝ち目のない戦に送り込み続けたり、送り出した開拓団を棄民のごとくあつかったりする国だ。だが逆に、その被害に遭い続けてきたような地域の人は温かく、優しいのかもしれない。この印象は、網田さんも参加した福島の旅でも感じていたことだ。

 民宿の主人は、宿泊客は他に1人、ドイツ人女性だ、と教えた。だから好きなようにしてよい、というわけだ。そこで、夕食前にひと風呂、温泉で、となったが、主人は「ここの湯と、どこも変わりがない」と詳しく教えた。ならば、と網田さんが考えた。そのプランに、主人は意をまったく唱えず、夕食は何時にでも、と送り出してくれた。民宿で借りた綿入りの短い丹前をはおり、JR駅舎まで歩いた。寒かった。そのフリーパーキングが民宿の勧めた駐車場だったからだ。

 目指す温泉はとても遠く、網田さんに感謝した。大きくて立派で真新しい感じのホテルの湯を楽しんだわけだが、まるで借り切りのような状況で、気分は上々だった。

 食べきれないほどの夕食も楽しかった。主人にさまざまな説明をしてもらえた。この魚は温かい間に食べてほしいと勧められた。美味。3品ほど残したが、その1つが鯉の甘露煮のようなものだった。これは土産にして、妻と味わおうと思ったが、いったん煮あげたもの故に、と断られた。その代わりに、持ち帰って煮上げる状態の土産を提案された。

 私たち2人は、都会人に合わせる必要はない。むしろこの地域が育んできた文化を紹介すべきだ、と勧めた。文化を色濃く残す地域の人々が、文明の欲望に応えようとすることが、環境破壊を加速させる、と私は睨んでいる。それは、かつてのアメリカで、都会の胃袋に応えようとしてリョコウバトを絶滅させた事例が象徴的だ。文化の伝統を紹介し、文明に疑問を抱き始めた賢明な都会人の期待に応えるべきだ、と言いたかった。話は弾んだ。

 この間に、恵那の阿部ファミリーに電話を入れ、通じた。翌日の昼食を用意して待つ、との誘いを受けた。なんとしても網田さんに紹介したい家族だ。


 

軽4輪をゆっくり走らせながら民宿を探した

家並みの前には所々で車が止めてある

宿の避難路案内図

民宿

気分は上々

気分は上々

気分は上々

気分は上々

気分は上々

美味

鯉の甘露煮

 


持ち帰って煮上げる
 翌朝、2人は早起きして家並みを散策した。人通りはほとんどなかったが、まず目に飛び込んだのは漢方薬の発売元の看板だった。前夜、こんなところに、と懐かしく眺めた看板だった。それは、休んでいた旅館の隣にあった。

 前夜の風呂帰りに、不法駐車しようかと相談した空地にも踏み込んだ。寺の持ち物のようで、初老の男がいた。立ち話で、空き家が多くなっていることを知った。思ったような改装が出来ないことが一因だ、という。若者が出てゆくと不満げだった。

 後で知ったことだが、それは仕事がないからだろう。この宿場は、ウルシ細工で名が知られた一大産地でもあった。新商品開発が遅れているのかもしれない。

 朝食はドイツ人女性と一緒だったが、挨拶を交すにとどまった。主人は夕べの話の続きを始めた。夏祭りも話題になった。各戸は自慢(?)のスダレを吊るすようだ。ある神社も紹介された。この地域の家並み復元に尽力した人物も話題に出た。早速、この人物に電話を入れ、在宅なら案内する、と言ってもらえた。曹洞宗派の地域で一番の寺だった。とても開放的な人物で、話が弾んだ。

 民宿の主人と別れを惜しんだ

 阿部ファミリーとの約束が気になったが、昼食を途中で済ませることにして、妻が奈良井宿を勧めたわけを噛みしめたくなっていた。民宿の主人やその夫人、あるいは通りあわせた中高生に感じた人の温かさにくわえ、幾つかの要因に思い付いた。

 馬籠塾は、貸さない、売らない、壊さない、をモットーにしているようだが、夜はゴーストタウンになる。観光客目当てのいわばテーマパークになっており、通いの家並みだ。対して、奈良井宿は生きていた。生活の場であった。人情の中に潜り込める。

 再訪を願い、奈良井宿を後にすることにした。


 

早起きして家並みを散策

早起きして家並みを散策

早起きして家並みを散策

早起きして家並みを散策

早起きして家並みを散策

漢方薬の発売元の看板

スダレを吊るすようだ

曹洞宗派の地域で一番の寺だった

曹洞宗派の地域で一番の寺だった

曹洞宗派の地域で一番の寺だった

民宿の主人と別れを惜しんだ

 

 「昼食! もう用意してありますよ。ボクは待ってます」との返事だった。出発時刻に電話を入れたが、それは到着予定時間に近かった。奥さんには昼食を済ませて待ってもらえていた。外出予定があったからだ。その間に、網田さんは屋敷の案内を受けた。電話口で聞いた槌音は、新たな玄関や風呂場をこしらえている音だった。風除室はすでに出来上がっていた。

 気のいい網田さんは、何かに心打たれたようで、スダレを造って進呈する、と言い出した。私は寧ろ嬉しかった.

 カメラ用の充電器を忘れたことがいかにも残念だった。せめてもの慰みは、カメラを2台持って出たことだ。大きい方のカメラは、すでに赤ランプがついていた。

 2人のお嬢さんは、母親に連れられてもどってきた。ハッピーにそっくりの犬は元気だったが、その母犬は死んだようだ。でも話題にしなかった。ハッピーの話しまで持ち出すとその日のうちに帰れなくなる、と思ったからだ。赤ランプのついたカメラで、記念撮影

 とても楽しいある約束を交わし、辞した。

 ほどなく、夜道になった。その前に、わずか2日で紅葉がかなり進み、落葉期に入ったような風景を眺めた。やがて、若い頃はさぞかし、と思われる運転を味わうことになる。網田さんは中央線ギリギリを猛スピードで走る。大型の陸送車が次から次ぎと、風圧を残して通り去ってゆく。

 私は居眠りも出ず、モーツアルトに耳を傾けながら、ドライブを楽しんだ。

 無事の帰宅を電話で知らせたが、妻が代わって、私が交してきたある約束の実現を望んでいる、と伝えた。

昼食! もう用意してありますよ。

網田さんは屋敷の案内を受けた

新たな玄関や風呂場をこしらえている音だった

ハッピーにそっくりの犬は元気だった

記念撮影

落葉期に入ったような風景を眺めた