選挙合戦を憂いた

 

 私たち日本国民は民度を試されている。あろうことか、安倍総理が率いる政権与党は堂々と国民の目をくらませようとしたのに、それを国民は見破れなかった、いや見抜こうとはしなかった、という結果に有権者は結び付けてしまいそうだ。

 これまで、TVが、どうして開票前に当選確実と断定できるのか、と不思議だった。この度、その謎が半ば解けたような気分にされた。ある機会を得て、飯島勲内閣参与の意見を聞くことができたからだ。小泉元総理の首席補佐官であったこの人は、「自民党は300議席を上回る当選者を出す」とその具体的な数を断言。その前に、当落ギリギリの議員名もあげた。

 私は、若者の選挙離れの理由が分かったような気分にされた。白けて当然、と思った。この(公示後間なしの)時点で、具体的な当選者の数読みが出来るとすれば、何のための選挙なのか、今の有権者の民意など読まれている、と思って当然、白けて当然だろう。

 この度は、「未だ選挙権を得ていない若者」や「未来世代」にとって大きな影響を及ぼしかねない課題を多々抱え込んだ選挙だ。彼らを窮地に陥れかねない「諸問題」であることを有権者は認識し、慎重な判断を下さなければいけない。にもかかわらず、「アベノミクス」継続の是非を問う選挙だという。この解散を、安倍総理は8月時点から決めていた、という。

 少なくとも安倍内閣は、現有権者の目を「目先の問題(アベノミクス)」でくらませようとしている。「アベノミクス、これしかない」というのであれば、あと2年残っていた任期を生かし、実証すればよい。わざわざこの(多くの大人が金策にも追われる)時期に、700億円もの国費を投じて選挙をする必要などまったくない。逆に、アベノミクスの失敗を認めて転換するなら、国民の声を聴くための選挙は有効だろう。さもなければ必要ない。

 ここで解散しなければ、やがてそのホコロビが明らかになる。そうなっては、あと2年の任期ではゴリ押ししたい「諸問題」まで仕上げにくくなる、と読んだのだろう。ここらあたりで中締めをし、「目先の問題」で目をくらませ、「諸問題」を選挙という「みそぎ」を通して正当化した形にしたい、と読んだうえでの組織的なテクニック選挙であろう。

 安倍内閣は何をゴリ押ししたいのか。ゴリ押しではなく、キチンと民意を問うた上での結果だ、つまり有権者に追認されたことだ、といいたいのか。

 その第一は、集団的自衛権の行使容認だ。この7月に、憲法9条の解釈を閣議決定で変えたが、それを「国民は追認した」と主張できるようにするためだ。つまり、これまでの内閣はことごとく「集団的自衛権の行使は認められていない」と憲法9条を解釈してきた。それを逆に、「認められる」解釈へと勝手に変えた。このたびの選挙で与党連合が勝てば、勝手ではなく有権者の追認を得た結果だ、と主張できる。

 次いで、武器輸出三原則(敗戦後の安全保障政策の柱であった)を安倍政権は撤廃した。これも有権者に追認された、と主張できる。

 もちろん、12月10日に施工される特定秘密保護法も、有権者は追認した、と主張できる。

 しかも今度は、消費税を否応なく10%にできる。

 拉致問題も気になる。拉致問題の解消は安倍政権の責務と言っておきながら、半分の任期を残しながら投げ出した。そう啖呵を切りながら解散の時期を推し量っていたわけだ。これほど国家の威信がかかった人権問題は少ないだろう。にもかかわらず、公約として浮き上がらせていない。私の目には「案の定」と映る。

 私たち日本国民は民度を試されている。