塾生とは、忘年会や合宿を含めると400回余も集ってきた勘定とか。その間に招ねいた講師は相当の人数だし、さまざまな分野の権威者であり、多忙な人たちだ。塾生も、休塾中や退塾した人もいる。全員に呼び掛ける計画があったようだが、相当の思案を重ねた結果、あきらめた様子。でも、この方が私にとってはありがたかった。塾生は毎年塾生会を催しているが、私は勉強会だけしか知らず、このたびは格好の反省会にできたのだから。
会場は、堀木エリ子の部屋(と私たちは勝手に呼び合った)が選ばれていた。堀木エリ子さんの壁面装飾を楽しみたくて、時々証明を切り替えた。
柴山さんの司会の下、食事を始める前のしらふの1時間はとても充実した。それは後藤さんが代読した野中さん(欠席者)のメッセージが大いに関係した、と思う。とても格調が高く、私は感謝するのを忘れており、なぜか拍手を送っていた。
なごやかなのに、ピンと気が張ったひと時だった。皆さんの意見や感想を、つまり各人にとってのアイトワ塾の印象を聞かせてもらいながら、四半世紀におよぶ時の流れに想いを馳せた。
舞鶴さんの手帳によれば、初回の印象は「疲れる」。これは、私にとって、とても分かりやすくてありがたい印象。きっと、思うところを率直に語れていたのだろう。なにせ1年の約束で始めた塾だったので、語り足らなかった、と悔やまずに済ませたく思っていた。そrはともかく、私はむしろ「やわらかめ」に始めたつもりだったが、皆さんの印象は「当初はとても厳しかった」とのこと。
当初は皆さん子どもを授かったり育てたりする年頃だったが、いまや孫に恵まれた人もいる。開塾1年後から参加した後藤さんは、子育てに役立った、とか。この人とは400回余の集いとは別に、ルーチン化したつき合いもある。「自然計画」。1週も休まずに698回を重ねた。この間に、彼は2度命拾いしている。雷に直撃されながら一命をとりとめ、被害はたしか、はいていた靴が(底に穴が開いてしまい)ゴミになっただけ。2階の大屋根から滑り落ちてもいる。これも真
下にあったバケツに尻がスッポリはまったのがヨカッタようだ。無傷で済んでいる。
子どもには、間違った努力をさせずに済んでいる、との意見の持ち主もいた。もしそうなら、ありがたい。真面目に不真面目なことはしたくない、を私は信条にしたい。もちろん現実は、その逆のことばかりしでかしており、これは反省の弁。
「そこまで言わんでも」と嫌われそうなことを言い出しても、トコトン話を煮詰められる集いであることがありがたい、との意見もあった。これは入塾17年目の野口さんの声であったと思う。
紅一点の鈴江さんは、入塾後まだ2年足らずだし、最も若い。だが、皆に愛され、敬われてもいる。網田さんと同様に、大阪からの参加だが、出席率は極めて高い。皆の喧々諤々には(意見を求められない限り)あまり加わらないが、何かにつけて判断材料にしている、と言ってもらえた。
もちろん、財木さんの発声での乾杯の後も、発言は続いた。彼は塾生では最年長者。そして橋本宙八ファミリーに京都を拠点にしてもらううえでの最大の貢献者。何せ、本日に至る住まいは彼の動きで確保できた。もちろん、このファミリーの生き方が、大家さんの心を動かした。
たしか三上さんだったと思う。その昔、と酔いが回るにしたがって過去も振り返り始めた。この人はたしか、世の中がどうなるのかを知っておくことの大切さを指摘したことがあった。常は淡々としているが、厳しい突込みができる人。
ちなみに、お土産に生菓子が用意されていたが、アイトワのシンボルマークをイメージして、基調色(緑)に、白梅とドングリの色と、紅葉が配されていた。また、後藤さんによれば、堀木エリ子の部屋が選ばれた真の理由は、網田さんのため(掘りごたつ)であった。
|