まず阿部ファミリー手作りの土産が嬉しかった。キナ粉、イノシカサラミ(イノシシとシカ肉の合いびき)、恵那鳥の白レバーのペースト、柚餅子、シシ肉のベーコン、そして2種の(落花生入りと白)餅。シシ肉のベーコンは、脂身がドングリの匂いがするという。
クワイのペットボトル育て、も見もの。これからどのように育つのか、楽しみ。
この日の3人は、ファミリーが合流するまで元旦の挨拶をしていない。簡単な虫押さえ(腹の虫が鳴かないようにする程度の軽食)のサンドイッチで済ませ、到着を待った。そして両家のお煮しめを広げた。コブ(結が切った)茶から始め、お屠蘇で「おめでとう」の挨拶をかわし、お雑煮と運んだ。そして、両家のお煮しめを味わったが、この時に昆布巻きが話題になった。
妻が「カンピョウが高かった」といって、買わずに、庭の竹の皮を用いていたからだ。恵那では、手作りのおばさん(?)から買ったようだが、「それなら私も使いたい」と、妻は羨ましがっていた。仁美さんと妻の味付けはよく似ていたが、今年の昆布巻きは、妻は失敗であったと後で気付かされており、炊き直した。田作りはうまくいったようで、一緒に食べて、作り方を伝授していた。
そのほかの話題も楽しかった。あの犬も話題になった。「月」だ。かゆくなった尻を、土手に尻を着けて幾度も滑って癒した犬だ。三日月の紋がある子犬を、三日月の日のもらい、満月の日に死んだ、という。これは、「ケン」(一番遠いところで飼っていので、見直に飾っていたが、今も外していなかった)の写真から始まっている。きっと妻も、ハッピーのことも思い出していたことだろう。
臨終も話題になった。人は死ぬために生きている、と考えている私にとって、とても楽しいひと時だった。少なくとも、人のみが死を意識して生きている、のではないか。その死を忘れようとする「人生観」を選ぶか、立ち向かう「死生観」を選ぶかは、人それぞれだろうが、私は33歳の時から「死生観」派になっている。つくづく、仁美さんに一書を誕生させてほしい、と思った。
お節料理を楽しんでいる間に、雪が降り始めた。アレヨアレヨ、と言っている間に降り積もり、わが家の一帯が最も美しい瞬間を迎えそうになった。多くの人が、この雪景色が見たくて、手ぐすね引いて待っている光景だ。妻の提案で、記念撮影のために庭に出た。
一足先に私は、寿也さんを、雪をかき分けるようにして室に案内し、ほぼ完成した屋根を見せた。室を造った彬さんを恵那に案内してあったので、寿也さんにも雪が降る前に完成していたことを喜んでもらえた。記念撮影場所に戻ってみると、姉妹はすでに雪合戦を始めており、撮影の後もしばらく庭に残っていた。
デザートも、手作り(アイトワの喫茶室を喫茶店にと提案し、29年来の妻の仲間になった人の作)だった。デザートを食べながら、仁美さんは「お礼にマッサージを返そうか」と提案し、妻は初めて本格的なマッサージを、それも実に長時間にわたって丁寧なにマッサージを経験した。それは、リンパ管をたどる手当のようだが、妻の日常の体の使い方と、傷んだところを見事に言い当てた。妻にとっては、元日早々の何よりもの贈物になった。
翌朝、見事な朝焼けにつられて庭に出たが、庭で初めてツララが出来ていたことに気付かされている。
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