寿也さんと、翌日の網田さんのおかげ |
|
妻が結にリンゴの皮をむかせたり、花連がとってかわったりしたが、私は危なげに見て、やめさせようとした。その時に、寿也さんが「やらしておいてください」と待ったをかけた。「彫刻刀も」と、近ごろは怪我をしない工夫を凝らしたものがあるようだが、「ウチでは、大人(用)の本物を使わせています」という。 翌日のことだった。網田さんに仔細を話すと、「そうですヨ」。指を切ったりしたら、「痛いでしょう」と言えばよい、と言う。そこに実感の共感が生まれ、真の絆に結び付くと言わんばかりだった。私は痛く反省し、同時に、短大時代に学生に説いた「愛」のあり方を思い出した。そもそも「アイトワ」と愛称をこの空間に与えたのか、とまで思い返した。次代は愛のあり方を大きく変えると見てとり、女子学生に説いた『3匹目のネコ』を思い出した。 その後、網田さんは1人で、黙々と四ツ目垣作りに取り組んだようだが、結にはその姿もよき刺激であったに違いない。両親がそれぞれの仕事に取り組む姿を思い出しせたことだろう。 そのご、オヤツの時間に、後藤さんが不思議な自慢話も持ち出した。初孫を得てから、後藤さんはほほえましき孫自慢を始めえるようになったが、この日は奇妙な自慢をした。孫を巻き込むことで、タバコを遠慮なく吸えるようになった、と人を煙に巻いた。孫に、たばこの煙が輪を描くようにはいて見せ、また見せてほしい、と孫にねだらせることに成功した、と言う。 結は、この話をどのように聞いたのかわからない。私にも、そのいずれなのが分からなかった。つまり、「真面目に不真面目なことをしているのか」「不真面目なことを真面目にしているのか」さっぱり解らなかった。 いずれにせよ、結は、テレビのない生活をしているし、携帯電話とも縁がない生き方をしている。それだけに、多様性を尊ぶ心と、健康的な取捨選択能力を身に着け、たくましくなってほしい。その意味で、後藤さんの話も、微笑ましく綿脚は受け止めた。 私は子どもが自己責任で生きてゆかなければならなかった事例を目の当たりにして育っている。戦中戦後、とりわけ戦後のことだ。親も身よりも、家も失った浮浪児が大勢いた。今は逆に、過保護になっている。その両方が間違っている。それはともかく、今は、どのような時代になろうとも、逞しく生きてゆく子どもに育てておく必要がある、と思う。 その第一の資質は、自然との接し方をいかに差づけられているか、ではないか。その意味で、結は合格、と見た。たとえば、日が射したと見てとると結は縁側に走り、影絵遊びをするなど、自然と真正面から向き合い、馴染んだ。 それだけに、有意義な1週間にさせたかった。 だから、まず、私が手こずった柚子取りをさせた。もちろん「取れるだけ採ればよい」と言ったが、結は1つだけ見落としがあったが、トゲに刺されることなく取り切った。 与える適当な課題がなくなると、部屋に戻って読書を始めた。そこで、わが書斎から3冊を選び出し、夕食時に見せた。『モモ』と『星の王子様』は「すでに読んだ」という。ならば『はてしなきものがたり』は、と取り替えようと思ったが、花連が「今、読んでいる」と応える。 幸か不幸か、友人であり私が大好きな作家・今関信子の作は読んでいなかった。結は夕食後にその一書を手に取ると、アッという間に読み切った。その様子を見ていて、なぜエンデが『はてしなきものがたりは』をモノにしたのか、そのわけが分かったような気がした。 結と1週間にわたってつき合ったことで、(クールなメディアと言われるテレビではなく、書籍のホットさと、その効能をいたいほど実感させられた。 この両親は、いつどのような国へ行こうともたちまちにしてその地になじみ、生きてゆけそうだが、結もそうした「小さな大人」にすぐに育つに違いない、と見た。 結にとって幸運だったことは、橋本ファミリーとの半日を体験できたことだ。このファミリーも、いつどのような国へ行こうとも生きてゆける人たちだが、この日はその振る舞いに直に接することができた。その効果のほどは、仁美さんにもすぐに分かってもらえたようで、お節の時間に、ポツリと、「私が体験したかったナア」とつぶやいてもらえた。 |
|
|
影絵遊びをするなど |