週記のメモ作り

 

 多いときは日に幾度もPCを立ち上げる。この日は、庭仕事を存分に楽しんだこともあって、「メモしておかなくては」との思いでも立ち上げている。

 5時過ぎのことだ。まず(居間の一角を建具で仕切った)PC室で立ち上げた。そして野良着から着替えるとすぐにPC室(それは玄関の間でもある)に戻り、立ち上がっていたPCにメモし始めた。

 何しろ、元旦来通算すると6日間も屋内に閉じこもっていた計算だ。だから、それ相当のストレスが溜まっているに違いないと思い、それを発散させたくて取り組んだ庭仕事だ。実にこまごまとした作業を思い付き、夢中になってこなした。メモしておかねば忘れかねない。

 そのメモに従って、この日の午後を再現すると、まず母屋の雨水タンクでジョウロに水を汲み出し、「母屋の出窓下」の水やり(週に1〜2度のルーチンワーク)をした。次いで、金太の側に立てかけてある一輪車をとりに温度計道を下りながら、サルの気配に気を払う。

 一輪車を横に倒し(正常な姿にし)ながら、常備の落ち葉籠(〇で囲んだ)に目をやる。籠には落ち葉が詰まっている、と見て取り、その落ち葉を点検するとクヌギだった。その籠を一輪車に積み終えると、その足で温室に行き、わけあって「箕(み)」を2つ持ち出し、それも積み込んだうえで(踏み石などの備蓄場を目指し)温度計道を上る。

 一輪車仕事をまず選んだわけは、体を温める力仕事と見たからだ。それは、網田さんが四ツ目垣を創ってくれたのに、そこにはいい加減にしか踏み石を配していなかったので、改めるためであった。雨水の排水枡を隠すために配したものに過ぎないが、機能的には決していい加減ではない。しかし、造園的にはいい加減に見える。そこで、踏み石らしく見えるように、新たな踏み石を幾つか追加することにした。

 その追加の踏み石などは、母屋の山側の壁面沿いの小路に備蓄している。そこまでの道中に腐葉土小屋があるので、常備の落ち葉籠を一輪車に積み込み、積み増すことにした。その時に、腐葉土を運び出すことにして、2つの箕も積み込んだ。

 次の作業は、雪で傷められたエンドウのツルを吊り直しだった。その上で、サルの被害の点検をした。まずブロッコリーから。案の定、(軟らかい葉はとてもおいしいのだろう)クチャクチャに食い散らかされていたわけだ。頭部をちぎり取り、くわえてイノシシフェンスを乗り越えたに違いない、フェンスの外で食した形跡があった。

 ハクサイも襲われた。平年よりうまく育ち、うまく葉が巻いたハクサイが出来たのだが、その一番良さそうな1つの、中心部が狙われていたわけだ。私たち夫婦がハクサイに替えて「緑菜」と称して愛食してきたような、平年作並みの外葉には目もくれない食い散らかしようであった。

 ダイコンの被害状況も点検し、「ついに」、と考え込まされた。もみ殻マフラーをした分は難を逃れていたが、ニューっと白い足をむき出しにしたような分が、襲われていた。その1本は、もみ殻マフラーをし忘れた畝で立派に育ち、20cmほど地上に飛び出していた。マフラーをしていても、隠し切れていなかったに違いない。サルは、葉の部分を握って抜こうとし多様だが、ちぎれたのだろう。直にダイコンにかぶりついていた

 残りを抜き取ってみると、地上部と同じぐらいが地中に隠れていた。その残されたダイコンの、20cm強を切り残し、私たちは食すことにしている。葉と切り取った部分は堆肥の山へ、だ。

 襲われたダイコの畝は、ブロッコリーの畝よりも人の目を気にしなければならない位置にある。畑の真ん中にある畝のダイコンに、直にカジリつくことは不用心このうえない行為のはずだ。目は(伏せがちになり)周囲に配れない。それほどダイコンが旨いのか。不用心にむき出した部分は、飢えたサルを不用心にさせるほど誘惑的なのか。あるいは、その不用心は承知の上で、命がけの行為をさせるほど挑発的に見えるのか。もしそうなら、このダイコンを残しておいた私にも責任がある。次に残すなら、サルを懲らしめるために生かしたい。

 ダイコンの気持ちは聞けないが、一連のサルの食い散らかし方から勝手に憶測し、2〜3の手を施すことにした。この度は、ダイコンを3次にわたって(かなり離れた畝で)育てているので、くまなく見て回り、マフラーを巻き(もみ殻をまき)足し、白い部分が覗かないようにした。

 その上で、改めて畑を見直した。ネギの畝は(雪で荒れてはいたが)まだ襲われていなかった。また、種まきが下手であったのか、歯抜けになった部分があった。そこにハクサイなどの苗を植え足したが、それらが順調に育っており、襲われていないことも知った。

 次の心づもりは、球根の最後の植え付けだった。そのために、腐葉土を2つの箕に取り出し、(球根の植え付けを忘れていた)井戸枠花壇の側にまで運び出してあった。チューリップの球根は義妹に、残っていた分をもらったものだ

 こうした作業を済ませた上で、温室に入った。身体を温め直しながら、セイヨウサクラソウの長鉢を1つ、仕立てることにした。さまざまな鉢で苗が自然生えしていたからだ。そのついでに、キンギョに餌をやったが、食欲がなかった。次いで、水を切らした鉢への水やりと、野草が生えた鉢植えの除草をした。この間に、運んでもらったオヤツをとっている。

 そのうえで、長短4畝の野菜をトンネル栽培に切り替えた。この日、セイヨウサクラソウの長鉢つくりと同じぐらい、長い時間を要した作業の1つだ。かつてはイノシシやシカを恐れて、すべての畝を覆ったことがあるが、取り急ぎ、危なそうな4畝に留めた。

 まだ日が落ちていなかったが、気がかりだった簡単な作業に手を出しかったからだ。それは、「室」の屋根の支柱(をコンクリートで固めたが、そ)の型枠はずしだった。素手ではずし終えた時だった。足元にヌーっと「ネコが出てきた」と思った。

 間違いなく、タヌキだった。悠然と、少し体をほぐすようなそぶりをし、「うるさいナ」といいたげにみえるほどノソノソとイノシシスロープを山手の方に歩いて行った。カメラを急いでとってくれば間に合う、と思って走った。戻ってみると見当たらなかった。タヌキを見たことを妻にコキで伝えた。どんなに忙しくても、こうしたニュースを妻は喜ぶ。

 「あのアライグマではありませんでしたか」と、過日目撃した(元気がなかった)アライグマではないか、と問い返したが、「違う。シッポで分かる」と答えながら、良き庭仕事の半日だった、と半日を振り返りながら居間に戻っている。

 この日の妻は、朝一番にサルの被害を報告しながら「山には餌がないのでしょうネ」と同情していた。こうした同情に私は必ずしも賛成ではないが、このたびのタヌキとの遭遇には、ホッとするところがった。今から思えば、それは己が自然の一部に成れたような気分にされたからではないか。だが、玄関にたどり着くまでに、殺気を感じさせないほどに己が加齢を喜ぶべきか、悲しむべきか、いやその前に殺気を「失くせたのか」「失くしたのか」と考えている。

 かくして屋内に引っ込み、PCの人になった。そして、ハッと気付くと時計の針が6時15分を指していた。半時間近くうたた寝していたわけだ。「シマッタ」と思い、寝室に急いだ。毎朝6時に妻のマッサージをしている関係だ。ところが、妻がいない。

 妻の寝床をまさぐったが、いない。その後、思い当たる所に声をかけたが反応がない。やむなくPCの人に戻り、憶測した。早く目覚め、「まだ暗いのに」私の邪魔をしないように、朝食の野心収穫に出たのだろうか、あるいは、早く目覚めて人形工房に、などと考えた。

 丁度その時に、玄関のドアーが開いたので「どこに行っていたの」と問いかけ、妻に不安げな声を出させた。部屋に急ぎ足で入って来ながら「孝之さん、大丈夫ですか」と。私は、しばらくは事情が呑み込めず、やっと「タヌキに騙されたんだ」と言った。その時に妻を安堵させ、笑わせることができた。いや本気で笑われたのかも知れない。


 

母屋の雨水タンク

母屋の出窓下

金太の側に立てかけてある一輪車

加減にしか踏み石を配していなかった

踏み石を幾つか追加

フェンスの外で食した形跡

もみ殻マフラー

直にダイコンにかぶりついていた

地上部と同じぐらいが地中に隠れていた

チューリップの球根は義妹に、残っていた分をもらった

型枠はずし