想い
 

 700億円の国税(総選挙費用)の「投入」はともかく、安倍さんは大勢の国民に(生産や創造活動にも振り向けられたはずの)時間を「割かせ」、「民意を問う」との総選挙をした。しかし、案の定の(選挙をせずとも分かっていた)結果となり、「投入」は「無駄遣い」であり、「割かせ」も「無駄にさせ」であったと「分かっていたわけだ」と私は幻滅した。

 しかし、「そうともいえない」との反省もしている。それは、そのテクニック通りに行かなかった唯一の例外があったことを知った時のことだ。沖縄での選挙結果だ。安倍さんにとっては前知事などから得ていた感触とは違い、意外な結果であったはずだ。まさに民意が正直に出てしまったのだろう。無記名投票のよさが出たといってよい。

 にもかかわらず(1つの声に従えば)その貴重な民意を踏みにじった

 太平洋戦争を振り返れば、最も尊崇の念で弔わなければいけない人たちの末裔が下した民意ではないか、それを安倍さんは無益以下にした。ひめゆり部隊をはじめ、洞窟で息を潜めていることがバレないようにとわが赤子を殺させられたりした人たちの末裔の民意をないがしろにした。この事実は「安倍さんの1つの特色」つまり「言と動の矛盾」を如術に物語らせただけでなく、不真面目この上ない典型例をさらけ出した、と見てよいのではないか。

 安倍さんの非難をしているのではない、日本の有権者として反省している。これでは、わが国が目指すべき国の形がますます見えなくなった、と言いたい。

 もう1つの今週の心配は、フランスでの事件だった。言論の自由は尊い。いかなる理由であれ、暴力、いわんや殺害はいけない、と思う。しかし、それよりも酷いことや、卑劣なことが、他にまかり通っているのではないか。そのような不安な気持ちにさせられた。

 本来なら、その根を徹底的に洗い出さなければならない。そのはずなのに、圧倒的な力を投入しながら、犯人をことごとく殺害し、「死人に口なし」のごとくにしてしまった。

 オランド大統領は「自由と民主主義への攻撃だ」といった。その前に、何故かサルコジ元大統領が官邸に呼ばれており、「文明に対する攻撃だ」と語っている。この時に、911でのブッシュ大統領を思い出した。彼も「文明に対する攻撃だ」と口走っていた。そして、言いがかりをつけて武力攻撃を始め、今の混乱に結び付けている。

 言論の自由はどこまで許されるのか。わが国は(昨今のかまびすしい)ヘイトスピーチを、言論の自由を盾に、禁じようとはしてこなかった。国連などは、それを非難している。逆に、安倍さんに不都合な事実(明らかな言論の自由)を、捏造と決めつける例を造っていた。

 要は、言論の自由の範囲を、世界的に論じ合い、特定しなければ、恐ろしい事態に結び付かせるのではないか。とても不安だ。

 今回の事件は、宗教がらみのような報道がされている。それでいいのか。

 宗教は、いわば文化の脳幹ではないか。世界の4大宗教はいずれも、古代文明と中世の間に発生している。自然破壊を進めた古代文明の爛熟期に発生し、終焉に向かわせる働きをした、と見てよいだろう。その結果が、中世への移行だろう。

 神に帰依した中世の人々は、欲望を抑制し、自然の回復に寄与するかのような生活に入っている。かなり自然は回復したのではないだろうか。やがて、西欧はルネサンスを経て近代文明に移行した。その初期には、バルビゾンの森に移住した芸術家も出しているし、ニーチェには「神は死んだ」と語らせている。その神はキリストを生み出させた神だろう。あるいは、キリストではあっても、マホメッドではなかったはずだ。

 マホメッドに帰依し続けている人たちは、今も宗教法に従い、つまり文化に従った日常生活を守ろうとしているように私には見える。

 それはともかく、宗教の差異でいがみ合い、戦争や殺人を繰り返すことなど言語道断だ、と思う。それは矛盾の極地ではないか。さもなければ、宗教を隠れ蓑にした陰謀ではないか。この度の事件でも、そうした疑念や不安がまた頭をもたげた。

 余談だが、なぜか、グローバリゼイションとこの事件は、関係があるのか、ないのか、と考えている。この事件は、グローバリゼイションにとって都合がよいのか、不都合なのか。そもそも、グローバリゼイションの浸透は、地球温暖化や資源枯渇などの防止に寄与するのか、しないのか。あるいは促進するのか、などと考えさされている。

 あるいは、自由」と「欲望の解放」を混同していないか、とも思った。

 主要工業国のメディアは、「言論の自由を求める声が世界各地に広がっている」と伝えたが、私の目には片手落ちに見えた。注意深く眺めたが、映像では地球人口の5分の1にも満たない地域の人々をもって、つまり自由主義工業国の声をもって、世界各地にと称していた。

 中国やインドにはカメラが入っていなかったし、いわんやマホメッドに帰依する国々はもとより、多くの少数民族の地域には入っていなかった。これはまさに言論の自由の無視ではないか。

 間違っても私は、イスラム教を擁護するつもりはない。そもそも宗教間の違いで戦争や殺人を繰り返す宗教など、宗教とは呼べない、とすら思っている。

 10年後、50年後、100年後、あるいはもっと先から振り返った時に、真面目に不真面目なことをしているのは誰か、との思いで心配している。

 なぜかマララさんにも同情の目を向けた。マララさんは、ドイツにおけるマレーネ・デートリッヒのごとくになれるのか、なれないのか、との心配をし始めた。未来世代は、するのか、しないのか、とても気になる

 もう1つ。アメリカソニーに対するサイバー攻撃。北朝鮮には失礼だが、本当に北朝鮮はそれほど高い技術力を持っているのだろうか、と私は疑いたくなっている。

 またぞろ、限られて時間内に、勝手なことを文字にしてしまった。唯一の救いは、これは言論の自由の範囲内に入っているはずだ、との想いだ。