やらかしたこと

 

 不遜な言い方だけれど、これまでにいろいろなものを観てきたが、人工物では想像を超えたものはなかった、といってよい。あったとすれば、それは多くの芸術品だ。創作者の願いや思想がを読み取れそうに思われた芸術品だ。さもなければ「よくもまあ、ここまで無茶が出来たものだ」との愕きである。確かにそれは、想像を超えていることがシバシバだ。だがその多くは猜疑心と、貪欲の顕在化、と見てとっている。

 若いときは、上司のお供した東京出張の帰途、途中下車して横浜の外人墓地を覗かせてもらったことがある。伝聞や記述だけでは物足りなく感じたのだろう。あるいは、単なる好奇心を朝寝ているうちに、「暇だったのかナ」とか「若かったのか」と過去を振り返るようになっていた。にもかかわらず、この日はそれをやってしまった。3時間ほどの空白をそれに生かした。

 まず、南千住に向かい、小塚原回向院と延命寺をおとずれた。吉田松蔭が斬首され、その墓石がある。ここで、20万人からの人が、徳川政権の都合で命を奪われたという。回向院には吉田松蔭の墓と、そう離れていないところに鼠小僧の小さな墓石もあった。

 延命寺には、大きな石の「延命地蔵」があった。吉田松蔭や鼠小僧も眺めたのだろうか、もし眺めたとすれば、2人の感想や印象はいかに、と考えた。

 次いで、小伝馬町の十思公園に向かった。この一帯には当時、牢獄があり、吉田松陰も収監されていたという。この公園には古い梵鐘がある。当時、時を告げて、人々に時刻を教えていたが、その最初に設置された梵鐘だという。当時の時は、夜明けと日没時に「六つ時」を知らせ、その間の長短を刻々と修正していたわけだ。15夜は満月であったわけだ。私には、その方が心身の健康にはかなっているように思われる。

 3時間は無駄であったとは思わない。訪ねる気にさせた一文(『江戸を歩く』田中優子、写真石山貴美子)を、願っていた通りに読み直させたし、さまざまなことに気付かされた。余談だが、この著者は、東京六大学では初の総長に任じられている。2期、3期と総長の任に着く気にさせる学校であってほしい、とせつに願っているが、その気持ちを強めさせた。どのような学校になるのか、見定めたい。

 

小塚原回向院と延命寺

小塚原回向院と延命寺

回向院には吉田松蔭の墓

吉田松蔭の墓

鼠小僧の小さな墓石

「延命地蔵」

「延命地蔵」

小伝馬町の牢獄、吉田松陰も収監されていた

梵鐘