ホウキグサで箒作り
 

 ホウキグサ(昨秋カフェテラスを彩った)が目に留まった折に、思うところがあって、箒作りに手を付けている。

 今週は2時間近くも、感動に浸り続けている。「アメリカの娘」とわが家では思っているリズさん(ホームステイ第一号)に、ある翻訳を頼んでおり、その交信の過程で生じた感動だ。

 かねてからリズさんに、妻の(写真集『いつか鳥のように』に載せた)詩の翻訳を頼んでいたが、それが私にとっては劇的におもえるタイミングで、出来上がって来た。

 その翻訳をテーブルに広げ、妻の人形の写真と見比べながら、雨音を聴きながら読み進んだが、そのうちになぜか込み上げてくるものがあった。しばしば中断。年甲斐もなく、男のくせに、「どうしたことか」と、天井を仰ぎ見ながら思いを巡らせてしまった。

 実は先週、この件でリズさんから幾つかの質問が届いていた。その届いた日の寝る前に、応えのメールしておいたところ、翌早朝に(6時間ほどのちのことだが)メールを開くと、「なんと」翻訳が届いていた。リズさんの質問は、最後の確認であったのだろう。

 即座に妻に、写真集に載せた詩のすべてが翻訳の対象になっているか否かを確かめておくように指示し、1泊2日の出張に出た。その後も落ち着いた時間がとれず、訳文を読むのは月曜日になった。寒い夜だったし雨が降り出していた。妻は別棟の半地下にある人形工房にこもった。

 リズさんの翻訳文をテーブルに広げ、写真集の詩と、人形の写真を見比べながら、一作ずつ丁寧に読み進んだ。ガスストーブの温かみと、温風を噴き出す音が、心地よく伝わってきた。なぜかその途中で胸が熱くなってしまった。「どうしたことか」との思いを巡らせながら、リズさんに礼のメールを入れたくなった。

 その2日後のことだった。雨がパラパラときた時に、濡らしたくないものを思い出した。一輪車に積んだまま畑の脇に放り出してあった土のことだ。庭に走り、室の屋根下に一輪車ごと避難させた。その時に、野小屋の一角に干し上げて保管してあったホウキクサが目に留まった。

 早速、思うところがあって、竹置き場から細長い竹を捜し出し、箒に加工することにした

 その加工に取り組みながら、リズさんと交わした5日ほど前のメールに思いをはせた。幾つかの質問であったが、その中の短い1つが強く印象に残っていた。「少女の瞳には炎のようにうつるかも知れない」とありますが、何が瞳に写りますか、との質問だった。

 妻は私と同様に、しばしばしでかす失敗がある。リズさんが取り上げたこの質問は、その如実な1例、と私には思われた。というのは、この写真集が出来上がってきた時にひと悶着があったからだ。読み進んでいた私は、リズさんと同じところで躓いている。妻にしてみれば、「写真を見たらわかるでしょう」と言いたいところだろうが、私には不親切に思われた。

 詩は、写真の説明ではいけない、と思う。その逆であってもいけない、と思う。両者は夫婦のような関係であるべきで、お互いに独立した価値を持ち、それが合わさって相乗効果を醸し出さないと面白くない。そうでないと、口惜しい。さもないと「もったいない」と思う。

 問題は、私にもある。たくさんある。その1つが、「あの時にも、」と反省している。

 この「もったいない」との想いがこうじると、私は丁寧な説明をする前に「バカモン」と言ってしまう、困ったクセがある。「あのときもヤラカシテいたナ」と反省した。

 何がそう言わせたのか、を相手に考えてほしい、と願う甘えたところがあるのだろう。問題は、妻にもある。妻は、なぜ「バカモン」と怒鳴らせたのかを考えるまえに、バカモンと言う言葉にいつもこだわってしまい、「それはないでしょう」と話しを横道にそらしてしまう。

 きっとあの時も、「写真を見たらわかるでしょう」との態度に対して「バカモン」が飛び出していた、と記憶する。だから、気まずくなり、釈然としない気分で、後の詩を読み進んだにちがいない。いい加減に読み飛ばしたのだろう。心に残っていない。

 そのようなわけで、リズさんのこの質問に接した時に、「それ見たことか」と妻に言いたげな気持ちになったが、それを抑え、(妻には相談せずに)次のように返信している。

 「背景の『ホウキグサ』までが、炎のように映っています。

 ウキグサは漢字では『箒草』で、秋になると真っ赤に紅葉する1年草です。その後、葉をすっかり落としてしまえば、特殊な「箒」として活かせます。

 ホウキグサを根元から切り取り、干し上げ、別途用意した細長い竹竿の先に結わえつけると、特殊な『箒』になります。

 用途は、わが家など一般家庭では、年末(新しい年を迎えるため)に、軒先に張ったクモの巣などの汚れを取り除くために用います。お寺などでは、仏像の埃をはらい去るためにも用いることでしょう。

 そうした平和で心新たにするために生かされる草までが、戦火や流血に映るのではないでしょうか」

 この一件で、妻は得るところがとても多かったようだが、妻以上に私は得るモノがあった。だからリズさんに、二昔の思い出に浸りながら次のようなメールを入れた。実は、『「想い」を売る会社』の取材時は、リズさんの同時通訳でアメリカを巡っている。その時のある記憶がありありとよみがえったからだ。「このようなところまで入って来た日本人がいるンだ」と、その人は私たちを招き入れていながら、回りの人たちに紹介していた。

 「私には、この翻訳文の本当の値打ちを知りうる力はない、といいましたが、

 もちろん、私にはその値打ちを推測することはできます。

 それは、1995年に、リズさんの通訳でアメリカ取材をしているからです。

 話し相手の反応が、私の願う通りの表情と言葉になって返ってきていましたから」

 この取材時は、エネルギー省も訪れており、長官室の前に陣取っていた人にも取材できた。筆頭補佐官のさんは「彼女は、あなたの心まで理解していますね」と念を押すような発言をし、続けて「それはどうしてか」といったような問いかけをした。

 リズさんにホウキグサの箒を見せたい。

 

箒に加工することにした