研究者に

 

 かつて私はファッションビジネスに関わっていた。その前に、わが国の既製服化に大いに関わる立場を与えてもらっている。これもちょうど50年前のことだ。既製品のスーツを「首つり」と呼んで蔑んでいた時代のことだ。その時の夢と、日本の現実には、まだ大きな乖離がある。

 日本はいつの間にか、私の願いとは逆の方向に、つまり欧州の貴族社会の服飾を踏襲する方向に踏み出し、つき進んでしまった。当時、私が夢見た服飾は、貴族社会が打ち立てた服飾から解放されることだった。欧州貴族の服飾の奴隷になることから、解放されることであった。

 今日、その願いに近い方向に踏み出し、劇的な成果を収めたのはアメリカの「GAP」だ。やがて、GAPは「アメリカンズ ベーシックウエア―」であることを標榜し、欧州の貴族社会が構築した服飾(の踏襲、ドレスルール)から解放されたことを宣言しており、世界中に広めている。フランスではアニエスベーが、イタリヤではベネトンが、などと追随している。

 ここで大切なことは、服種や品質など「見てくれや、モノの良し悪し」だけにとどまった話ではなく、次代が微笑みかけてくるような「やり方」が求められている、ということだ。例えば、見てくれや品質が良いモノを安く作らんが故に、貧しい国の子どもを酷使したり、自然を汚染する染色方法を用いたりすることは許されなくなる、と言うことだ。少なくともこの認識の下に事業を展開する不断の努力が、つまり企業の「想い」の善し悪しが問われている。

 日本は、西欧の服飾からみれば、引力圏外にあっただけに、そして呉服の源流からあと一歩で精神的に解放されうる段階にあった上に、資源小国であるが故に、チャンスがあった。その上に、環境問題や人権問題がかまびすしくなることが予測されていただけに、チャンスがおおいにあった。その想いを訴えたくて脱サラし、著作活動に入った、といっても大げさではない。

 だから2年後に日の目を見た拙著の中で「人はなぜ衣服を着たのか」の問題にも触れている。それは、「衣服とは何か」を掘り下げ、歴史的にみて服飾は「いかなる方向に収斂せざるをえないのか」を、導き出す必要性に迫られたからだ。当時の私の手の届く範囲の資料に基づいて仮説を導き出し、拙著では「衣服は男が先に着た」という小見出しを付けて開陳している。

 欧州の貴族社会が構築した服飾の踏襲は、人間の本性である、と言えばカッコウはよいが、いわばケモノの(競い合いの)延長線上にある、と見た。だから、オートクチュールは(全盛の時代であったが)廃れる、と断じている。代わって、人間の本質(人間たるゆえん、あるいは人間のみが有している才能)を満たす方向に収斂する、との仮説を導き出した。

 たかが服飾ごときになにをグタグタといわれそうだが、「されど服飾である」と気づかされていた。

 つまり、貴族社会が構築した服飾は「欲望の解放」であり、やがて見限られる。人類は紆余曲接しながら次第に「人間の解放」を求めるようになる。きっとその兆候は服飾の大転換が先駆けとなって明らかになるもであり、それが現実化しつつある、急ぎ次代の創造に取り掛かろう、と呼びかけている。

 この訴えには前提が2つあって、その1つがこの「衣服は男が先に着た」であった。いずれは誰かが実証してくれるに違いない、少なくとも定説にしてくれるはず、と信じていた。もう1つの仮説は、人間が持つ「3つの脳」と服飾動向から導き出している。

 このたび、ヤーカン族の存在を知って、とても気が晴れた。

 ヤーカン族は、火を用いていたようだが、裸で過ごしていた。しかし、1万年余も前に、岩陰に己の手形を残している。かなり高い岩陰にも小さな手形が残っていた。きっと子どもが大人に抱き上げてもらって残したのだろう。それは何を示しているのか。「欲望の解放」か、それとも「人間の解放」か。

 生まれ変われるものなら、研究者になってみたい。


 

岩陰に己の手形を残している