心ひそかに反省

 

 これを最後にしなければ、と思った。スライドはしごの機能を最大限生かすやり方だったが、妻に手助けを求めると、「老人の木登り」とばかりに言下に叱られた。「ならば、引っ込んでいろ。見なければよい」と突き放すと、シブシブ従った。

 これは誰にも勧めない方式だが、最も簡単に枝落としなどが出来るから、60歳代までは妻の助けを借りずに採用していた。過日、佛教大生に見せた「だるま落とし方式」や「巻き落とし方式」はこの過程で編み出している。学生との時は、十分太いクヌギの幹に、十分な傾斜を持たせてハシゴをかけているわけだから、この度のやり方とは根本が違う。

 このたびは、科学的には最も合理的だが、自然界では危険極まりないやり方だ。だが、手早く目的を達成できる。だから「サラッ」とやってのけて、妻に「ドンナモンダイ」と言いたかった。そ して、願った通りに目的を達成していながら、「もうこれをもって、最後にしよう」と思うに至っている。

 実は今週、いよいよ「85歳までは現役」で生きねばならない、と思うことが生じている。そうと言い切った印刷物『NEW ENERGY』が出来あがってきたからだ。インタビュアーの導き方が素晴らしかったので、初めてその想いを文字で開陳した。いずれ内容も許可を取って載せたい。

 このたびの木の枝の落とし方は、問題がいくつかあった。粘りがあるクヌギと違って、木質がとてもさくいカキであった。しかも、ハシゴを駆けるところが、幹ではなく、横に張り出した枝であった。しかも、それが十分太くない。

 だから、なるべくハシゴを垂直に立てないと、かけるハシゴと体重がカキの枝に負荷をかける。負荷を大きくするとバキッと割けかねない。だから、この方式を 採用したが、前のめりに倒れ、折れたカキの枝と倒れるハシゴの上に、落下しかねない。

 だからと言って、垂直にし過ぎると、ハシゴに登る己の自重で、背の方向にひっくり返ってしまいかねない。計算上は、そのほどよい角度はでるし、ゆとりも持たせ得る。しかし、いつ突風が吹かないとも限らないなど、人間には分かりえない試練が待ち受けているのが自然だ。フラッとなれば、ハシゴを抱えた形で背中から落下する。下はコンクリートだし、鉄門扉もある。

 そこで、このいずれにも陥らないで済みそう、と思われる角度でハシゴをかけた。そして、登りかけたが、すぐに妻をコキで呼び出し、介添えを求めた。案の定、妻はブツブツ言ったわけだが、シブシブ従わせた。

 なんとか、体をカニのようにハシゴに擦り付けて登り切り、ハシゴをカキの枝にロープで結わえつけ、ひと段落となった。下から見上げていた妻に「もう安全ダ」といって、人形工房に返したが、この時に一抹の不安が生じている。

 いったんノコギリをとりに降りて、こんどは1人で登り直し、ノコギリを引き始めた。思っていた以上に木が揺れた。一抹の不安とは、ハシゴを懸けた枝の付け根に洞が出来ていたことだ。あまり木を揺らせると、共振が起こり、その部分に集中 、応力をかけてしまい、メシッと木を割かせかねない。そうなると、飛び移る木やぶら下がる枝などがなかったから、身の寄りようがない。やむなく、相当の時間を要したが、1枝ずつ無事に落とし、目的を達成した。

 ここでそそくさと「ヤッタ」とばかりに降りなくてよかった。無事におりておれば、妻に「ドンナモンダイ」と言っていたに違いない。

 その前に、大事なことに気付いてよかった、と思う。ハシゴを結わえたカキの枝からロープを解いておかないとハシゴを外せない、と気づいた。やむなく、ハシゴに登ったままコキで妻を呼び出し、ふたたび助けを求めた。

 その夜のことだ。夕食は、プロシュートとワインから始めた。そして、食事が半ばを過ぎた時のことだ、妻の様子がおかしくなった。妻が求めるままにボールを取りに走り、戻ってきた時には身震いを始めていた。声をかけても応えない。痙攣する身体を抱き支え、床に寝させた。食べたものをもどし、しばらく横になっていた。やがて寝室に移動し、寝込んでいた。

 私は食事を済ませたあと、居眠ってしまったようだ。気が付くと9時。急いで風呂を沸かし始め、11時に妻を揺り起こした。そして「小夜子は、ワインが(身体に)合わないようだ」というと、妻はワインを飲むといつもすぐに酔いが回ることを思い出したようで、「特に、赤ワインがきついようね」と返してきた。

 赤ワインが原因、と思っていた私だが、再び妻を休ませてから、「そうではなさそうだ」と思うようになった。それは、元日に迎えた仁美さんの言葉を思い出したからだ。彼女は「お礼に」といって、リンパマッサージを丁寧に妻にほどこしたが、そのあとで少なくも2点の指摘を残していた。「こんなに手を使っている人は初めて」出会いました。そして、ずいぶん「胃に負担がかかっている」だった。彼女は看護婦の資格を持っており、とても思いやりのある人だが、今は介護施設で責任のある立場にされている。

 「そうか」、あのハシゴ支えで妻は「ずいぶん緊張したのだナ」と思った。強い逆風が吹けばドウシヨウ、と妻は考えたのではないか。

 この憶測を確かめたくて、金曜日の夜に寝酒で談話を試みた。妻はまったく飲まなかったが長時間付き合い、次のような想像が出来る話もしてくれた。体型は、ハシゴを上り下りする私と同様にカニのように、ただし両足で踏ん張って、「ハシゴよ」下の「コンクリートに沈め」とばかりに両手に力を入れ、ハシゴを押さえつけていた。

 


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