傷隠し
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私の夢は、誰しもが「よき足跡」を残せる世の中だ。「よき」とは、誰しもが持って生まれた潜在能力に気付き、与えられた時間とお金をその発揮に生かす気になり、足跡が残ってしまう世の中だ。私は、幸いなことに、不治の病(伝染性)に苛まれたおかげで、自給自足で生きる覚悟をしているが、それがヨ・カ・ッ・タ。加えて、ないものねだりをしないことが大切と思うが、それにも早く気付いてヨ・カ・ッ・タ、と思う。 このヨ・カ・ッ・タに導かれた生き方という方式がクセになっているのだろう。この度は靴屋はまだしも、大工の真似ごとをしながら、過日の生き句を思い出し、吹き出している。 靴は、アメリカで靴屋として誕生し、有名な百貨店になった店の品だ。かつてその有名の程を計り知りたくて、さまざまな品を買い求めたが、その一環の品だ。その修繕をした。 椅子は、50年ほど前に両親が買い求め、食堂で用いていた品だ。40年ほど前に補備椅子に格下げされ、その後20年ほど前から仕舞い込まれていた。それを私がひっぱり出し、その1つを温室で用いていた。しかし、高温や高湿度などの厳しい環境が。肝心の組木細工の部分を台無しにしてしまい、分解しそうになっていた。この度はその修繕をした。 雨の日にこの修繕に取り組んだが、喜寿が近づきながら、なぜか2年も3年もかけて取り組んでいる石工の仕事を思い出し、吹き出してしまった。しかし、すぐさま得心している。 このやり方こそが、誰しもがその人なりの確かな足跡を残す秘訣ではないか、と思ったからだ。少なくとも、そうと気づけば、そしてその気にさえなれば、誰にでもそれは可能だ。 父は、それまで住んでいた家を売って、それを資金にして今の母屋(と呼んでいる部分の元)をつくっている。50年も昔のことだ。その後、40年ほど前に増築したが、経済的にゆとりがなかった。だから、父の寝室の縁先の大石は、踏み石としては(大きさは充分だが)用をなしておらず、両親は一度も用いていない。表面がいびつ過ぎるし、第一高すぎる。その下に踏み出しにくい。だから私は、何とかしたい、と思ってきた。 両親が生きている間にできたことは、その代替だけだ。母屋の居間の縁側に作った手作りの踏み石だ。これは決して父の誇りを傷つけていない。また、心配もかけていない、はずだ。 過日、義妹に石をもらえることになり、やっと次の手を打てる、と喜んだ。2段目を設けられた。もちろん両親はいないが、両親はこうしたやり方の方を好んだ。でも、実際に用いて見て「これでは不十分」と気付かされた。もう一段、必要だ、と思った。そこで、あり合せの5つの石を選び出し、3段目をつくった。これで機能的に十分だが、不満が2つ残った。 ありあわせの石は、産業廃棄物だ。2トンダンプ1杯分1万3000円の石の中から選び出した石だから、傷だらけだ。その傷をすべてうまく隠しきれなかった。だからこの度、やっとそれを隠す手を打てた。懸案のこまごました仕事の1つだ。 もう1つの不満は、機能的には3段で十分だが、私の美意識さえ満たしていない。母が生きていたら、きっと首をかしげていただろう。せっかく5つの石を見事に組み合わせたのに、大きい石から、ついにこの寄せ合わせの踏み石になったようで、貧相に見える。 そう思っていた矢先に、網田さんの提案があり、甘えて石をもらいに出かけることにした。そして石工となって4段目の石として活かせるように加工した。いずれ、佛教大生の手を借りて、移動させ、据え付けたい。その前に、この度の傷隠しを是非とも済ませておきたかった。 学生たちが迎える次代は、物質的には厳しくなっているに違いない。それは私たちがファッションに流され、資源やエネルギーを、かつての貴族以上に浪費してしまったからだ。だからと言って、若者から非難を浴びられるような立場にはなりたくはない。 そのためには、私たちが躍起になっていたことよりも、もっと彼らが躍起になりたくなる夢を与えられるようになりたい。その躍起になれることを体感し、実感をもって伝えられるようになりたい。私なりの夢を与えたい。少なくとも、夢を抱いて生きる人を1人でも増やしたい。 そのような思いで、石だけでなく、わが身の傷隠しもしなければ、と反省した。 |
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靴の修繕 |
椅子の修繕 |
傷をすべてうまく隠しきれなかった |
隠す手を打てた |