読書に没頭

 

 『知覧特別攻撃隊』村松薫偏(ジャプラン)と3年前の雑誌『新潮45』2012(特集が2つ、「幸福な日本の自覚なき日本人たちへ」と、他に1つ)が添えられていた。

 私は知覧を2度、訪れている。多くの若者が書き残した遺書に触れ、彼らが立たされていた境遇を垣間見ているが、その折の心境を新たにした。

 2度の訪問は、ともこの10年来のことだ。そして2度とも、とても冷静な自分に気付かされており、意外に思ったことを記憶している。

 最初は、自ら進んで訪れており、まじまじと手記を読んだり写真を眺めたりしながら、「もし40年前に訪れていたら」と考えたことが思い出された。また、もし私が同じ立場に立たされておれば、とさまざまなことも考えている。

 2度目は案内だった。私より年若い人の望みに応えて案内した。その人も、まじまじと手記を読んだり写真を眺めたりしていた。その姿を眺めながら、こうした必死の立場に若者を立たせた人たちや、立たせる人を作り出した人たちに、あるいはこうした事態を想定せずに開戦に踏み切った人たちのことを考え始めている。要は、こうした事態を想像しようとせずに戦争を始め、ダラダラと決断をずらし、こうした事態(特攻だけでなく、都市無差別爆撃や原爆)まで生じさせた人たちがいたわけだが、自ら進んで断罪しようとしてこなかった日本人の心情に、いいしれない哀れさと、悔しさなどを感じ始めている。

 丁度その時に、案内した人はそそくさと踵を返し、立ち去ろうとした。何故か私は、その様子から、この人は心優しい人に違いない、と感じていたことを思い出した。

 そのご、911の折に、この必死の立場に追い込まれた若者たちの行動が、アメリカなどで引き合いに出されていたが、何か釈然としない心境にされたことも思い出した。確かに、無謀で残忍なことに身を投げ出したように見えるが、投げ出さずには済まなかったその想や、そうさせた遠因の追求が不十分だと思われてならなかった。

 『新潮45』の特集の他に1つは、『浮浪児1945―彼らはどこに消えたか』(石井孝太)だが、子どもたちが自己責任の下に生き抜かなければならない時代を思い出させた。当時は、身寄りを失くした子どもの多くは、物乞いや盗みに走っていた。多くの女性も自己責任の下に生き抜かざるを得なくなっていた。中には路頭に迷ったのか、売春にも走っている。いずれもが、アメリカ兵や米軍基地に寄生していたわけで、その様子を垣間見ながら育った世代としては、シンミリせざるをえない。

 これと同じことが、あるいは似たようなことが、身勝手な判断が原因で、今も世界のあちらこちらで生じているに違いない、とも思わせられている。

 さらに連想は続き、わが国はこの度、中東問題に踏み込んでしまったが、それは間違っている、と思っている。「国際社会と歩調を合わせる」との勇ましい言葉を張り上げて、尻馬に乗ったようなことを始めたわけだが、自ら矛盾のるつぼにはまり込んでいるようなものではないか。それは、やってはならない過ちを犯している、との心配だ。

 いずれはニッチモサッチもゆかなくなる紛争だ、と思う。イラクの場合よりも、複雑怪奇な尾を引きかねない。その時こそ、わが国の出番ではないか、との想いだ。その資格を最も有しているのがわが国ではないか。

 まず、わが国はこれまでアラブ世界との友好関係を培ってきた。その信用力は工業国の中では随一ではないか。この点を鑑みれば、ニッチモサッチモゆかなくなった時に、仲裁を名乗り出る最も恵まれた立場にある、と見てよいだろう。いやむしろ、そのときにこそ仲裁を買って出て、和平活動に踏み出す立場にあるのではないか。

 また、心境面でも、恰好の位置を占めており、きめ細やかな仲裁交渉をなりたたせうる立場にある。宗教面でも中立的であれば、かつてわが国は、数千人もの若者に、爆弾を装着した飛行機などで突っ込ませた歴史を有しており、その心の綾が理解し良い立場にある。その上に、憲法9条を有している。

 突っ込まれた方は、残虐非道な振る舞いと見るようだが、私たちはその悲壮な思いや、繊細で鋭敏な心境の下で行動に入った若者たちの心境も知っている。だから当時、あらかたの国民が同情し、讃えたのではないか。今にして思えば正当化できる側面は見当たらなのに、今も讃えたい心境に駆られる人がいるのではないか。恥ずかしながら、40年ほど前までの私は、そのような心境に駆られがちになっていた。

 この必死の戦法は、身を張って互いに殺し合っている集団の一方が追い込められた時に、エスカレートさせかねない身の張りようではないか。そうした実情を最も説明しやすい立場にわが国はある。それだけに、わが国は、最も円滑に仲裁できる立場にあるのではないか。

 テロはあってはならないことだ。だからといって、相手が塞ぎようも、抵抗のしようもない上空から爆撃することはそれ以上に正当化できない、と思う。「身を張れ」と言いたいのではない、身を張るテロよりも残忍で、根の深い恨みを抱かせかねない攻撃ではないか、と言いたい。2000回もの爆撃をしたとのことだが、2000人以上の人を無差別に殺したのではないか。そして、2000人以上の新たなテロリストを育てたのではないか。心配だ。

 やがてニッチモサッチモゆかなくなるに違いない。その時にこそわが国は割って入り、存在意義を発揮し、9条にノーベル賞を付加し、尊敬や感謝の対象にすべきだ。

 それがまた、爆弾を装着した飛行機やベニヤ張りのモーターボートなどで突っ込ませた数千人もの若者の死に報い、その想いの昇華にも結び付けられるのではないか。

 何故か、このようなことまで考えてしまった。