拡大解釈


 

 この「なぜブーム? 大衆酒場」の番組では、コメンテイターが辛い指摘をした。簡単に言えば、貧富格差を広げる主要なる原因の1つと私が睨み、かねがねから警戒してきた問題を、まじめな顔で指摘し、「それで納得」ですまさせようとした。

 そのコメンテイターは大衆酒場を「第3の空間」と規定し、第1の「家」と、第2の「仕事場」とを対比させ、大衆酒場の人気のほどを説明したわけだ。つまり、第1と第2の空間にはともに「息苦しい」ところがある。だから、それから逃れるために「第3の空間」が利用されており、流行らせているのであろう、との解説である。

 このコメントを聞いて、妻は「どうして息苦しいまま放っておくの」と不思議そうに独り言を漏らした。私はこの独り言をいく様にも受け止めた。

 まず一番に、「どちらともいえない」との考え方をなんとか避けるようにしてきたが、それでヨカッタと思った。それが息苦しい空間のまま放っておかずに済ませたと思う。

 だから妻に「バカモン」と怒鳴ったり、「次にこの決め事を、守らなかったら、指を1本切り落とす、と約束」しろ、と迫ったりしてきた。伊藤忠時代は、今なら「パワハラ」の典型のようなことをしていた。たとえば「バカモン」と怒鳴るのはザラだったし、「家に帰っておれ。月給とボーナスは規定通りに振り込む」と叫び、帰っていないと見ると、「トイレで使った水道代は自弁せよ」と迫った。私亡きあとも部下が、あるいは妻が独り身になっても、なんとか豊かに生きていってほしい、と真剣に考えていた。ならば甘っちょろいことは言っておれない、と真面目に考えていた。

 「そうか」と、安堵もした。妻は、「指を切れ」と怒鳴らせて、「切ります」と約束させられるまで徹底的に反発してきたが、それは建設的な意識を基盤にしていたわけだ、と今さらながらに感謝した。もちろん私も、わが家では大喧嘩をするが、そのたびに仲良くなっている(つもりだ)、と友人などにうそぶいてきたが、それでよかった、と思った。

 さもないと、逃げ場が欲しくなり、その逃げ場はすべてお金がかかり、貧乏にされてしまいかねない。そのための収入を増やす道に踏み出すか、収入にはあまりこだわらずに幸せや豊かさを感じられるように努めるか、の2者択一のように思っている。

 簡単に言えば、簡単に幸せや豊かさを感じようとすれば、欲望の解放に走りがちになる。その世の中は仕掛けでイッパイだ。仕掛ける人は富み、仕掛けに乗る人は(心身共にスリ減らされながら)お金を吸い上げられる。地獄だ。貧富格差を大きくする原因だ。薄く広くお金をかき集める「集金システム」が世の中に張り巡らされている。