夫婦喧嘩の思い出


 

 「予定通りの電車に乗れた」と、小声で妻に(動き出した列車の中から、周りを気にしながら)ケイタイで伝えた。アイトワ塾(とその前に後藤さんと済ませておきたかった作業)が待っていたからだ。

 「雨に合わずに済んだ」と、もう一言付けくわえたいことがあったが、それは控えた。そして、背もたれを少しずらし、腰を深く沈めると2日前の出来事が思い出された。ちょっとしたやりとりが妻との間であったのだが、それを振り返ったわけだ。

 出張前夜に、妻は「関東方面は悪天候」になると知っていた。だから「傘を持って行ってください」と勧めたので私は「小さい折りたたみを」と、応えている。

 ところが翌朝、見送りの車の中で、「引き返します。傘を忘れました」と言いだした。引き返しても充分間に合う時間であったが、私は「またか」と思いながら、「引き返さなくてよい」と応じた。そして、「これからは気がついた時に、(鞄に)入れておくようにしよう」と付けくわえた。すると、「そうね」と即座に気持ちの良い返事がかえってきた。

 だから、東京での用件は、無事「雨に合わずに済んだ」と、妻に伝えたかったのだけど、控えた。控えながら、2日前の妻とのやり取りを振り返ったわけだ。

 「何時もとは何かが違う」と思いながら、「何が違ったのか」と考えた思い出であり、やがて「そうであったのか」と得心していたはずの思い出の、いわば検証である。

 この(傘の)問題は、「妻が横着(気づいた時に入れておかなかった)をした」ことによって、「私が困りかねない」問題であった。だから妻は「申し訳ないことをした」と思い、「そうね」と率直になれたのであろう。

 他方私は、「私が困りかねない」問題だから、私さえ覚悟すれば済む話である、と考えている。まず私は、常日頃から傘を持ち歩くことを好まないタチだ。少しでも荷物を軽くしたいし、雨が降らなければジャマになるだけの品だ。そこで何時ものように、「運に欠けよう」と考えていたに違いない。だから「これから気を付けて貰えば、それでよい」と言えたのであろう。

 結果、妻が即座に「そうね」と自分に言い聞かせるような言葉を返してきたので、とても気分良くされたわけだ。たとえ雨に降られても、むしろそれは後あとのためになる、と私は感じていたように思う。つまり、妻のことだからきっと「気の毒なことをした」と余計に思ってくれるに違いない、と考えていたように記憶している。

 おかげで、気持ちよい旅立ちとなり、たいした雨にも悩まされずに済んでおり、万々歳であったはずなのに、「それにしても」と、なぜか2日前のことを振り返ってしまったわけだ。

 これまでは「よくケンカになっていた(ケースであった)のに」と思い直している。そして、「これまでとは何が違ったのか」と考え始めている。

 この日は何故か、暖かいコーヒーが飲みたくなった。そして、列車の席に座りながら、その願いが320円でかなえられることが、なぜかとてもありがたく感じている。

 やがて、「そうであったのか」と、気付かされた。ケンカになっていたケースを振り返っているうちに、そこには共通項があった、と気付かされたわけだ。それは、「妻が横着をして」「妻が困っていた」時に、大喧嘩に結び付いていた。

 例えば、自動車のキーだ。HCなどに買い物に出ると、帰る段になって、妻はよく「どこかしら」とキーを探し出していた。鞄の中はもとより、あらゆるポケットまで探していた。そうした時に、ついには「バカモノ」と怒鳴らざるをえないことになっていた。

 当初は、当然「しまうところを決めなさい」から始まっていたに違いない。いきなり私は怒鳴ったりはしないはずだ。

 「まだ決めていないのか」

 「まだ懲りていないのか」

 「何回いったらわかるンだ」と、次第にエスカレートさせていたように思う。

 キーの問題ならこの程度で収めていたはずだ。だが、はるかに大切な問題なのに、時として妻は「放っておいてください」とか「何度も同じことを言われなくてもわかっています」とくることがあった。そこで「分かっているなら、なぜ繰り返す」とか、挙句の果ては、「次に同じことを繰り返したら」などと、追い詰めていた。

 「イヤ、そうではない」とすぐさま思い返した。追い詰めたり、「バカモノ」と爆発したりしていた時は、爆発寸前に、妻が「またぞろ、とはなんですか」とか、問題をハグラカソウとした時に生じていたはずだ、と考えた。なぜなら、「生涯(の持ち時間)の1割も2割も(に相当する時間)をキミは探し物に割いているようなものだ」と冷静に言ったことが幾度となくあるからだ。ここまで想いをはせたあたりで、

 「それはともかく」と、この日はなぜかココロをとてもなごませている。「今後は」この手のケンカが格段に減るのではないか、とも考えている。