目から鱗 |
アイトワのミッション(使命)は、1973年に固めている。 簡単に言えば、「プレイボーイ」や「プレイガール」のココロではなく、子どもを持った「親」のようなココロ掛けになろう、と自らに言い聞かせた、といえばよいだろう。、 「日々の太陽の恵み」の範囲内で、「工業社会とは異なる新たな豊かさや幸せ」を見出す生き方を「住み着いた地勢や土地柄など」にそくして創出し、「未来への希望や可能性をつなぐ模範」になる。 であったからだ。そして、 「新たな豊かさや幸せ」とは、環境破壊や資源枯渇とか共同体の崩壊などを伴わず、むしろ「人類が荒廃させた環境などの復元に寄与しながら得る」豊かさや幸せである。 と見定めている。 要は、「日々の太陽の恵み」の範囲内で求め得る豊かさや幸せの追求であること。それは、自然がはぐくんだ木材資源はもとより、自然(植物)が歴史的年月をかけ(た炭酸同化作用によっ)て固定した化石資源(炭素化合物)をむさぼるようなことはしない、との想いである。 そして、この想いは「自然ドロボウ」という言葉を思いつかせている。 つまり、生態系にのっとった生活を尊重し、地球にとって唯一のインプットであり無限の資源である太陽の恵みを多様に生かし、省エネルギーや省資源を追及しながら居住空間の生物扶養能力を高め、そこに人類存在の意義を見出す、とつなげている。 こうした活動規範を定めている。 だから、とても高尚な気分になれたと喜んでいたのだが、そして近年、エネルギー問題の権威者・新宮秀夫さんに声をかけてもらったことを喜んでいたのだが、チョッと私は幼稚な次元で喜んでいたようだ、と思い知らされている。 新宮秀夫さんは、「日々の太陽の恵み」の範囲内で、とか「自然ドロボウ」といった考え方は、とっくの昔に考えていた人がわが国には居た、と教えてくださったのだから。 「日々の太陽の恵み」の範囲内で、については、井原西鶴が「日本永代蔵」の冒頭で「天道言わずして、国土に恵み深し。人は実あって、偽りおほし」と切り出していたことで分かる、と教えてくださった。おかげで、日本人として、とても誇らし気に感じられた。 今日風に言えば、「お天道さまは、なんにも文句をいわずに毎日、毎年、日光を国中に恵んでくださっていますね〜」となる、と新宮秀夫さんはおっしゃる。 「自然ドロボウ」については、同じく井原西鶴が「この娑婆には掴み取りはなし」と戒めていることで分かる、と教えてくださった。 こうしたご指摘に私は腰を抜かすほど感激した。なぜなら、私の知る範囲での話だが、江戸時代の日本と日本人に、かねがね私はとても心を惹かれていたからだ。拙著『ビブギオールカラー』(工業時代に次ぐ第4時代を日本で創出し、日本人が率先して移行して見せよう。そして尊敬される国と国民になろう、との呼びかけ)は、その想い(つまり、江戸時代に対する想い入れ)も1つをよりどころにしている。世界で稀有な江戸時代をモデルにできる、と訴えている。 このたび、改めて新宮秀夫さんの「アベマリア」を聴き直した。 |