最適任者

 まず昼食時に、さまざまなことに気付かされた。レストランのウエイレスとの会話で、「料理の水の関係」を選び、良い水が自慢だと知ると、「良い水が育む食材」に話題を移すなど、いろいろな配慮を学べた。おかげで、楽しい写真が生まれた。

 このレストランでは写真サービスをしていた。おかげで、嘉田学長と、水と文化研究会の小坂育子代表と一緒に、成田先生(私のあとを引き受けてもらった前大垣市環境市民会長で、現顧問)とともに収まることができた。

 大垣は「水都(美しい地下水)」を誇るが、滋賀県には近畿の水がめ琵琶湖があり、水郷もある、水の都だ。大垣の地下水は、滋賀県との県境・鈴鹿山脈に降った雪が源、と言って過言でない。また、嘉田由紀子さんはフィールドワーク(アフリカに始まり、大垣も踏査対象だったことがある)に基づくたぐいまれなる(自然の摂理をわきまえた)研究者である。だから、「科学知」だけでなく「生活知」を兼備。また、知事時代の画期的な実績(全国初水害リスクマップ作成など)で知られた人である。その上に、女性の力と情熱の体現者としては、右に出る人は少ないだろう。

 大垣市に馴染み始めた頃、私は女性の力と情熱を尊重する大垣の風土に心惹かれている。女性の力と情熱(さまざまな女性の活動体があった)がみなぎっており、驚かされている。それが小倉前市長時代の大垣と私の縁をとても深めさせてくれたように思う。

 「環境基本計画」策定委員長を仰せつかったが、初めて委員を公募で加えており、その後の伝統になっている。それが「絵に描いた餅」にならないように、との願いを込めて大垣市環境市民を立ち上げた。ゴミ減量計画も仰せつかったが、大勢の女性が関わった。レジ袋ナイナイ作戦も早かった。ついには、「大垣市女性アカデミー」という年間講座も誕生し、5年にわたって開講した。その間に、アメリカの先進都市などを訪れる修学旅行を組み込んでおり、さまざまな勉強をした。

 水都の敵の1つは、原発だ。だから、市民発電所を待つサクラメント(カリフォルニア州々都)を訪れ、稼働したばかりのランチョセコ原発を廃炉に持ち込んだ決意や意向、その経済的環境的負担だけでなく、代替策なども学んでいる。嘉田さんは、「卒原発」という言葉の創始者としても知られる行政者でもあった。

 大垣では、有名な「洗堰訴訟」があった。嘉田さんはそれも全国的な問題として採り上げ、市民(古人の知恵を忘れて、生きものとしての直感さえ見失いつつある)と行政(それを埋め合わす法的整備できていなかった)の本質的改善策を講じている。その経験にもとづき、大垣の市民と行政にエールも送った。

 懇親会も楽しかった。川合千代子さん(何代目かの井戸掘り家系ゆえのフィールドワークが生業)と、嘉田さんの会話が弾んでいたし、そのスナップをとった人は、元市職員だが、今は各地の水都を踏査(関心のある人を引率)して回っている。

 ドギマギしたのは、その前の3分だった。最早環境市民の顧問でもなく、嘉田さんのエスコートのつもりで招待に応じた私に、唐突に乾杯の音頭を指名されたからだ。

 頭が真っ白になる、ということは「これだナ」と、初体験した。運のつきだった。何を語ったのかを忘れたが、ともかく第2の故郷のごとく過ごせた大垣で、旧知の人たちと旧交を改める喜びを感謝し、大垣市、環境市民、そしてご参集の皆様の健康と幸せを祝す乾杯にさせてもらったように思う。

 もう一度やり直せるのなら、環境市民が嘉田さんを招けるまでに育っていたこと、そして、嘉田さんのおかげだろうが、小川市長が懇親会まで付き合う間柄にまでなっていたことを讃えればよかったと思う。