8つものご褒美
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MOH-Cafe2
という集いを機に、前夜から網田さんに泊まってもらったが、まずそれがよかった。茶の湯の稽古帰りの鈴江さんにも付き合ってもらえたし、私1人では封を切りたくなかった(いただき物の)美酒も味わえた。 この2人とは翌日の集いが終わるまで、まる24時間もつきあい、内10時間ほどは3人で(会場のホテルで時間調整をかねた昼を含め)トップリ歓談できた 会場の受付では、小貫先生と伊藤先生(案内した)の姿に久しぶりに触れ、さらに、会場内では元気な森会長に出会え、訪れてよかった、と思っている。 その後、ご主人と一緒に参加した瞳さんと出会え、とりわけご主人と、立話とはいえ久しぶりに話し合えたのもよかった。瞳さんは、MOH-Caféの提唱者であり、その成功がMOH-Cafe2に結び付けた、と私は理解している。彼女はこの日は、活動報告した。 もちろん初対面の方々にも挨拶してもらえ、これからの縁を期待した。 もう一人の森さん(呼びかけてあった)との再会も嬉しかった。この森さんの紹介者である津乃吉の吉田さんにも参加してもらえ、とてもありがたかった。 もう一人の森さんは第1発言(質問)者として口を切り、小貫先生は第2の発言者として上位概念に関する提言。吉田さんは第3の発言者となって、豊かな自然に育まれた時代の生き方を証言し、場をさらに盛り上げた。 もう一人の森さんの質問は適確で、感心した。それが、小貫先生の指摘を誘ったように思う。森さんの質問に触れて私は3つの回答を用意していたが、小貫先生の指摘を受け、2つの回答を追加する必要性に迫られている。 半ば結果論だが、このたびのスピーチ要請に応じておいてヨカッタと思った。それは58年にわたる庭創りの想いと経過を25分(パワーポイントに5分の動画を加えた)でまとめられそう、と分かったからだ。そのために数10回にわたる推敲を重ね、後藤さんを呆れさせたが、そのかいがあった。私にとってはこれも報酬の1つになった。 それにしても、小貫先生の提言(指摘)はあり難かった。それは、土地の有無とか資金の有無には関係がない、ということを意味している。その「上位概念」という言葉にふれて、私は「リサイクル運動」が騒がれ初めた頃を振り返っている。 それは、「リサイクル運動」を機に、文明を見直す動きに踏み出さんとする人たちもいたが、逆に、享受している文明を長持ちさせるために「せめてリサイクル」ぐらいは、と取り組む動きもあったからだ。その峻別を迫られたように思ったからだ 後者ではラチがあかない。じり貧だ。いずれは追い込まれかねない。 過去の現実も振り返った。それはアパレル会社で8年間勤めた社長室長の経験だ。環境問題などに関心がまったくなかった会社であったが、私は独断で環境問題に配慮したバイヤスを懸命に掛けている。その価値はあったと思う。だから、その証として拙著『ブランドを創る』を著し、大好きだった会社の社長に見本刷を贈っている。 実は、私は妻と所帯を持つときに、相当の覚悟をしている。だから、幸せのバロメーターを見定め、妻にも覚悟を迫っている。覚悟さえ決めれば、つまり上位概念さえ見定めれば、たとえどこに住むことになっても、根本を改めることができるし、生き方も変え得る、と思っていた。難しいのは、覚悟だ。でも、追い込まれたら、神風特攻にも立ち向かえるのが人だ。そこで、まずその第一歩は何か、と考えて食事だと見てとった。 これも結果論だが、妻はその気になり、いわば真の「遊び」を覚えたようだ。白川静によれば、「遊」とは、「遊 = 完全なる自由 × 創造」という計算式が成り立つ概念だという。もしそうだとすれば、妻は3食の用意に、この「遊」の喜びをたちどころに見出すようになっており、それが人形創作という「遊」に結び つけたに違いない。要は、誰しもが持って生まれている潜在能力を出そうとするか否かの問題だと思う。問題は、工業社会はこの潜在能力を出さずじまいにさせる装で出もある、ということだ。 こんなことも思い出しながら、5つの回答を切り出した。 ちなみに、初耳の「ドイツ版二人扶持」とは、私が勝手に記憶に留めおいたニックネームだが、その主旨は以下のような内容であった。 2人の別所帯の人が、示し合せて物々交換生活をすれば、生活費を10%削減できる。それが100人の環になれば、生活費を無にし得る、といったようなものであった。そして、この動きがドイツでは広がっている、と聞かされた。もしそうなら、敗戦後、奇跡の繁栄で肩を並べた日独だが、これからはさらに決定的な差異を露わにすることになるに違いない、と思った。こう推測できたことも報酬の1つと言える。この観は、おりしも来日したメルケル首相が、安倍首相と胸襟を開いて語ろうと試みたことを知り、強くしている。 今やドイツは、EUの主軸となり、メルケルは主導者的存在だ。逆に日本は、桁違いに有利な立場にありながらアジアの主軸になろうとせずに、むしろ孤立している。 きっとメルケルは、そうと確認して帰途についたのではないか。もしそうなら、メルケルは中国を、これからも毎年のごとく訪ねるだろうが、安倍流のかじ取りが続く限り日本には立ち寄らないだろう。こうした憶測ができたことも、1つの報酬だろう。 |
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