「紙張」


 

 江戸時代には、和紙で蚊帳の代替品を作り、それを「紙帳」と呼んでいたという。紙帳の所々に窓(切り抜き)を入れて、風通しの良い紗などを張っていたらしい。もちろんその窓にも工夫を凝らし、団扇(うちわ)や扇子(せんす)の形にしたようだ。さしずめ妻ならトンボやアサガオの形にするなどしたに違いない。

 やがて蚊が姿を消す季節になると、紙張の出番はなくなってゆく。問題は江戸時代の庶民の生活だ。蚊帳を買えない人は、狭い家屋で、その日暮らしであっただろう。江戸では「宵越しの金」を蔑む風潮があったとも聞く。紙張はきっと、夏を過ぎると狭い長屋などでは無用の長物になり、売り払われたに違いない。

 買い取った生業職人は、冬を迎えるまでの間に工夫を凝らし、その「紙張」を加工することもあったようだ。2重に重ねにしてその間に藁を挟み、より望ましき防寒具にする。それを、庶民は冬になると買い求めたらしい。

 そうと知った時に、私は網田さんを思い出している。老舗のスダレ(簾)屋である網田さんは、夏を迎えるといつも多忙になる。それが私にはとても不思議であった。夏への備えは「冬の間にしておくモノ」が、私にとっては常識だし、日常であったからだ。

 だから、私は半ば想像も含めて以上のごとく、妻に「紙張」の話を持ち出した。すると妻は目を輝かせ、ポツリと「私は江戸時代むき(の人間)ネ」とつぶやいた。

 その時に私は、新婚当初に、「本当に世の中が嫌になったら」と切り出し、妻にもう1つの覚悟を迫ったことを思い出した。案外、そのプランに沿っておれば、妻はもっと生き生きした人生を送っていたのではないか。

 そう思っていながら、まったくその逆のことも考えている自分があった。それは、昨今のわが国の風潮に、江戸時代の風潮が色濃く残っているように思われ始めたからだ。たとえばコンビニ。コンビニをわが国ほど流行らせている国はない。少なくとも、ここまで広く市街地にまで深くコンビニを組み込ませた国はない。それは、必要になってから手に入れる(?!?)という江戸時代の庶民の風潮が今も人々の血の中に色濃く残っており、それが可能にしたのではないか。

 「しかし、待てよ」とも考えた。江戸時代とは決定的な差異もある。つまり、昨今と江戸時代を比べると、そこに介在している業者に決定的な差異がある。

 昨今の、つまり近代の文明生活における業者は、ゴミを増やさせることを繁栄の決め手にしている。ゴミを最大化させるために、補修や修繕などを重視せずに、買い替えを急がせるなど、さまざまな手立てを仕掛けている。その一環としてコンビニを大繁栄させている。要は、上位概念がまるで逆さまだ。だから、核家族化、個食化、即席食品化、外食化などを推し進めさせてきた。

 他方、江戸時代の業者は、つまり江戸の文化が育んだ生業は、ゴミを出さないことを、あるいはゴミにさせないことを繁栄の決め手にしていたことだ。

 もしそうだとすると、妻は、妻が言う通りに「江戸時代むきの人」かもしれない。