ちょっとした夫婦ゲンカ

 小鳥のなきがらを見つけた妻は、私を手招きし、もったいぶって広縁に連れて行き、その片隅を指さした。私が置いたのかもしれない、と思ったようだ。そのようなところに私は置くはずがない。

 小鳥は勝手に屋内にさまよい込み、その後ガラス戸を閉め切られ、出そびれたのだろう。とてもひ弱そうな小鳥で、ひな鳥かもしれない。人知れず飢え死んだのだろう。

 「このところは」と妻は、掃除の時か空気の入れ替え時にガラス戸を開ける程度で、「閉めきってきた」といった。すかさず私は、「たとえ1分でも」さまよい込ませかねない、といったようなことを言うと、妻はとてもふくれた。

 その後、この亡骸を、ネコなどに狙われないように屋内の棚に留め置いた。翌日、気付いた時には見当たらない。妻は、私が埋めるために持ち出したと言うが、記憶がない。

 その後、パーキング場を掃除していた時のことだ。大きな植木鉢の上に、似た小鳥の亡骸を見つけた。広縁で死んでいた小鳥と似ているが、一回り小さい、と私は見た。急ぎ妻にナイセンをすると、すぐに駆けつけて、この亡骸を見た。

 「あのコトリですヨ」と第一声。

 私は、この庭に一緒に遊びに来ていた幾羽かの雛の内の2羽が、別れ別れになって死んだのではないか、と憶測した。だが、妻は「(そこに)孝之さんが置き忘れたのでしょう」と言ってきかない。もちろん、私は「あの小鳥より小さい」と主張したが、妻は「写真を見比べたらわかるでしょう」と言い残し、工房に戻ろうとした。

 そこで、話題を変えた。瀕死の金魚のその後が気になっていたからだ。案の定「さきほども確かめましたが」死んでいた、という。「ならば、共に埋めてやろう」と、なった。

 「このコトリは、サカナを捕りそうにないから、キンギョと並べて埋めてやるカ」と妻に問いかけたが、私に「お任せします」といって工房に引き揚げてしまった。

 私は、コトリとキンギョを20cmほど離した位置に埋めながら「吾が定見のなさ」に気付されており、吹き出している。愛犬を埋める時は、とりわけ母は側に好物を添えたが、それを許してきた。もしこの小鳥がカワセミだったらどうしていたか、とも考えた。きっとキンギョをもっと側に埋 めていただろう。それは私がキンギョだったら、と考えたからだ。腐る前に小鳥の餌になり、その上で土に戻りたい、と考えるに違いない。その自然への還り方を、キンギョも望むだろう、と勝手に思った。

 要は、上位概念が定まっていない。