「リバー」

 

 ライバルの語源がリバーだと教えられた時に「目から鱗」の感があった。「なるほど」と相槌を打ち、かつての海外旅行を振り返り、文化と文明の相克に思いを馳せた思い出をよみがえらせている。

 ドイツとスイスの国境線を自由に出入りした視察旅行のことだ。その折に一本のエッセーを記した記憶がある。「近自然河川工法」の視察だった。同時に、それとはまったく逆の事例も思い出した。それはアメリカ出張時に(商社時代のことであり、先輩に案内されて)先住民の居留区に立ち寄った時のことであった。

 後者はまさに、リバーがライバルのイメージを生み出させた好例だ、と思った。案内の先輩は道中の車の中で、未知の大陸への侵入者が次第に侵略者に変貌した歴史を語った。侵入当初は、極限られた人数であった。未知の大陸では到底、先住民の手厚い保護を受けなければ一冬さえ越せなかったのではないか、と先輩は語り、ハッとさせられている。西部劇映画で固めていたインデアンの印象と逆さまだ、と即座に理解できたからだ。

 たどり着いた居留地は、半砂漠地にあり、気だるさや不甲斐なさに満ち溢れていた。子どもの声、鶏、あるいは槌音など、生ける証は感じられなかった。印ばかりの木製の塀があったが、崩れかけていた。その塀の広がりから、乾燥が進むとはいえ広大な平原を領している、と見た。先輩は中央部に大きな川が流れている、と語った。

 その居留区の入り口から川は目視できなかった。車を降りてほんの数10mほど居留地に踏み込んだところで、先輩の背に向かって「ありがとうございました」と例の声をかけた。なぜか引き返したくなっており、川は望まずじまいになった。しかし、連想は出来た。

 その後、車を駆っていた先輩が「あの川の下流に(居留区が)ある」と教えてくれたが、連想通りに大きな川で、平原を蛇行していた。さらに上流部で川に近づくと、相当の流量があったが、水は濁り、水質はかなり汚れていた。車はすでに目指すべき地方都市に近づいており、ビル群が遠望できた。

 きっと先住者は居留地区への封じ込めを提案されたときに、「棲み分け」を願っていたに違いない、と私は想像した。先住民は、豊かな川の恵みにありつきよい場所や、大地を駆け抜けるバッファローの狩り場などを含んだ大地を選び、部落民の自治区として確保した、と信じていたことだろう。

 その後、いわば安住の地を確保した先住民は、文化を守り、当初はうまく棲み分けていたに違いない。だが次第に侵入者は数を増やし、文明を持ち込み、先住民をジワジワと追い詰めていったのではないか。

 川が汚れると、川の恵みには次第にあり着けなくなる。バッファローも急減したようだ。先住民は必要量だけバッファローを狩り、皮から骨までくまなく文化に基づいて活かし続けたに違いないが、侵入者は文明の流儀を持ち込み、換金の対象にしたことだろう。

 先輩によれば、侵入者は高く売れるバッファローの舌だけ切り取り、街のレストランに送り続けたという。居留区に駆け込む前に、あるいは駈け出して来たバッファローを狩ったのだろうが、その数は次第に減り、居留区内の恵れた 狩猟場といえども意味をなさなくなったのではないか。

 かつてリョコウバトと呼ぶ(空を暗くするほどいた)ハトを絶滅させた過程を、私は調べたことある。天に向かって発砲すればバタバタと落ちてくるほどいたハトを、たちまちにして狩りつくした歴史だ。

 先住民にとって、「上流の」あるいは「川向うの」と言えば、手ごわいライバルの縄張りを意味し、棲み分けの知恵を働かせたことだろう。ところが、文明を持ち込んだ侵入者は、そうした知恵をことごとく無用にしていったのではないか。侵入した人たちが持ち込んだコレラなど大陸になかった病原菌も、猛威をふるったに違いない。

 昨今のグローバリズムは、この延長線上にある、と見ておくべきだと思う。それが、餓死は貧困にさいなまれる国を生み出し、テロを誘発している可能性もある。

 「近自然河川工法」視察時に見た現実は、これとはまったく逆さまの話であった。かつては川が国境線であったり、川が国境線で上下に分断されたりしていた。それが、文明の進展によって、文壇の術として活かしておけなくなった話であった。川を挟んで相対する間柄の人々が、あるいは川の上下で隔てられていた人々が、国籍を超えて手を携えなければならなくなっていた。つまり、川の良き水質など川の恵みが共通の利益になることが分かり、むしろ密接に手を携えあうようになっていた。

 「海も同様だ」と思った。いまや環太平洋パートナーシップがある。