心臓の筋トレ

 

 私の不整脈は、心臓に少し負荷をかけた方が(10回とか15回に1回が、7回とか9回に1回になるなど)乱れが減る。

 この病気(拡張性心筋症)になると、多くの人は無理をせず、介護(認定を申請し)保険を活かして心臓に負荷をかけないようにするようだ。しかし、私は体験を通して、付加を加えた方が「頑張らナクッチャ」との叱咤激励を心臓に与えるようで、治療効果があることをしった。そこで、経験を積み重ねるようにしてきた。

 それは、適度な負荷を懸けざるを得ない生き方を選び、その生き方を貫徹することに存在意義を見出してしまった関係で、繰り返している。それが精神衛生上だけでなく、脳にもよき作用がありそうだ、と期待するまでになっている。

 ところがこのたび、過ぎたるは及ばざるがごとし、を体験した。小雨がぱらつき始めたので、急いで焚き火にイモを放り込み、落ち葉かきに手を付けることにした結果だ。

 1人を焚き番に残し、3人で落ち葉かきを始めたが、しばらくすると雨が降り出した。そこで、一刻真早く落ち葉の粗取り(細部は残し、全体量の6割とか7割に当たる落ち葉をかき取る)だけでも済ませたく思い、若かりし頃並みの動き(落ち葉を手際よくかき集め、落ち葉袋に詰め込み、背に担いで腐葉土小屋に運び、積み込む作業)を(幾度か繰り返)した。心臓はドクドクとフル回転、良い調子、と思っていた。

 丁度粗取りを終えた頃に、雨あしが強くなり始め、同時にイモが焼きあがるころ(40分ほど経過)となった。そこで、イモを取り出し、雨宿りしながら食すことにした。その場として、「室」の屋根の下を選んだ。それは正解だった。学生は荷物を野小屋においており、帰り支度に都合がよかったからだ。

 学生を見送った上で、囲炉裏場に引き換えし、無煙炭化器の灰(適度に降雨で冷めていた)を濡らさないようにカバーをかぶせした。その間にすっかり体を濡らしてしまい、おり悪く始まった冷え込みに晒してしまった。

 居間に戻ると素早く着かえ、その間に風呂を焚き始めていた妻に、ショウガ湯も用意してもらって飲み、少しマッサンも呑んだ。夕食後、風呂で体を温め、すぐに寝た。それがよかったようだ。イビキと寝返りが続いたようだが、翌朝6時前にめざめた。

 実は、眠りにつく前に脈をとって、意外な気分にされた。心臓を、不整脈などと呑気なことを言っておれない状況に追い込んだのに、そうはなっていなかった。脈は強いが、飛び方はむしろ頻繁になっている。意外だった。それを気にする暇もなく、眠りこけた。

 おかげで、素晴らしい朝を迎えた。「生きている」と気付いた時の自信。よくやったと褒めてやりたい心臓。「アレはもうやめよう」との反省。「ならば」との新たの挑戦意欲。そうしたことがエネルギーになって、1週間の庭仕事を立案した。