残念な想い


 

 工業社会は、ヒトを「ズル賢いケモノ」にしてしまう装置だと思う。その装置をうまく作り上げ、集金システムとして広めた人が大金持ちになる。

 欲しいものを創り出そうとはさせずに、たちどころに欲しくなるものを見せつけて手を延ばさせるシステムを構想し、開発し合っている空間だと思う。そうと気づいて、私はドン・キホーテを目指した。

 そうと気付く前は、ファッションを駆使して集金システムを構想した。だからファッションシステムという子会社を作らせてもらい、チーフプランナーにしてもらった。7年連続で最有力子会社賞を賜った。その学習が、今日に至らせている。

 その目で見たら、いろいろなことが見えてくるような気分にさせられている。今は、病院までが集金システムに成り下がっているように見える。だから医療過誤が大問題にされる。学者の中にも成り下がりが広まり、不正論文が増える。スポーツマンも成り下がり、ドーピンが増える。問題は、人間を「ズル賢い ケモノ」にしてしまう装置だと思う。知らず知らずの間に、人間をその装置に追い込んでしまう。

 それは人間の本性の宿命だと思う。ある人はそれを「見えざる手」と呼んだ。結局その本性は、嘉田学長ではないが、「今だけ」「お金だけ」「自分だけ」の相克問題に人を陥れ続けてきたように思う。

 そのようなことを考えながら、小貫先生のいう「上位概念」を振り返り、前日の映画『日本と原発』を見たことを思い出し、京都で来春予定している催しに期待をよせた。

 そして、映画『日本と原発』を見ず終いになっていた自分を想像し、誘ってもらえたことを感謝し、同時に、してもらえていなかったことも考えた。

 工業社会とは、肝心のことに気付かせずに、ヒトを「ズル賢いケモノ」にしてしまう装置だと思う。それをむしろ喜びかねない日本人「知らぬが佛」を思い出し、反省した。余は、肝心のことに気付かせていたら、工業社会は成り立たない装置だと思う。

 原発事故を期に「ブロックされている」とか「コントロールされている」と叫んだり、その後「水銀問題は克服された」とばかりの断言をしたりしたヒトもいたが、まさに工業社会のオトシゴ、いや申し子ではないか。

 もしそうだとすると、拉致問題を、これを「解消するのがわが政権の使命だ」と言わんばかりに叫んだことも、解消できないことを知ったが故に叫ばせたプロパガンダではないか。70年余前にも、八紘一宇とか皇軍などのプロパガンダがあった。