工業社会の終焉
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NHKの朝ドラ「マッサンとエリー」が終わった。久方ぶりに視聴率が高く、人気があったようだ。それはマッサンの職人肌、エリーの人柄、そしてこの2人と周りの人たちとのうるわしき関わり、に心を打たれる人が多かったからだろう。 工業社会は職人肌を不要とする社会だった。道具を使いこなす心意気と技や匠を軽んじ、オートメーション機械に走らせた。しかし、その見直しが広く認められ始めているのだろう。エリーは人の気持ちをくみ、土地柄を尊び、日本人が忘れかけていた懐かしい人のありようを思い出させた。それは、工業社会が不要にしてきたことではなかったか。マッサンは身を張ってエリーを護り、エリーは身を捨ててマッサン につくそうとした。こうしたつながりを不要とするために工業社会は、福祉、保険、サービス業、あるいは警察などを充実させ、人任せの世の中にしてきたのではないか。 多くの人は、工業社会の終焉を予感し始めたに違いない。その末路に踏み出している、と感じ取っているに違いない。これまでの延長線上に未来はない、と見てとっているのではないか。安倍さんは、消費を囃すが、それは第二の敗戦に結び付けようとしている。 第一の敗戦は、国体の護持にこだわりを、いまだにアジアで孤立している。未来世代に借金を押し付けながら、大判振る舞いでしか存在感を示せず、のたうっている。第二の敗戦は、その上に、工業社会の護持にこだわってのたうち、目先を真っ暗にしている。 そのような気分にされていた時に『屋根』を観た。そこに工業社会の総括と文化への回帰を見て取り、文明を反省し、込み上げてくる何かに気付かされた。 「まれ」が始まった。「地道にこつこつ」をモットーにする女の子の生涯が描かれそうだ、と見てとった。その父親は、まるで工業社会の申し子だ。演出は、私の目には工業社会的に映り、その弊害のように感じられて、見るに堪えない。しかし、それは素晴らしい結末に導くアプローチかもしれない、と期待。 それはともかく、この朝ドラも、工業文明を反省し、工業社会の総括と文化への回帰を訴えようとしているのではないか。 |
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