新たな活かし方
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このたびの冬野菜ほど、まとまりのない育て方を試みたのは初めてだ。一畝を短く仕切って、数種の野菜を育てるだけでなく、数種の野菜の苗をゴチャ混ぜにして植え付け、育てもした。その上に、サルにも襲われ、トンネル栽培に切り替え(目立ちにくくせ)ざるを得なくなった。そのために、育てている本人が、どこで何が育っているのか分からなくなってしまった。 めくってガッカリはミブナだった。ミズナにいたっては、収穫するに値しない状態で、モノを大事にする妻でさえ、収穫していない。葉の良いところ取りして摘み取れば、サラダぐらいには生かせそうだが、していない。 それは、そうしなくても済ませられる嬉しいことが他にあったからだ。その1つがダイコンだった。嬉しいことに、第4次ダイコンまで育てていたことが分かったからだ。 記憶にあった第3次までをサルに襲われ、「今年はダイコンの花芽」を楽しめない、とあきらめていた。あきらめていたというよりも、それに代わる、例年にない花芽を楽しんでおり、それでけっこう満足していた。それは、予期せぬアイトワ菜が現れ、色艶は大きく異なるが、苦み走ったパンチのきいた味は共通している。ダイコンの花芽以上かもしれない、とさえ思っていた。その花芽で幾度かハリハリ鍋もどきを試みたが、妻も大満足していた。ハリハリ鍋は準備が簡単だから、台所仕事の手抜きはできるし、美味しいのだから。その上に、第4次があったことが分かった。 だから「マイッタなあ」につながった。目隠しのトンネル栽培のレースカーテン地が大きく膨らんだので、妻はめくってみたようだ。「なんと」その峰の部分の下から、薹を立て、花芽を伸ばしたダイコンが現れた。10本ほどあった。いずれもが、花芽を取るために残すようなシロモノ(細い根)ではなく、立派だった。それが分かったのが、銀座に出かける週に入ってからのことだった。それがかえってよかったのかもしれない。 妻は長期の留守をするとなると、やけにまめまめしくなり、片づけごとに励む。神風特攻隊員の心境だろう。機に乗り込む直前まで、草刈りなどにいそしんだという。 薹たちダイコンの生かし方自体は、すでに会得済みのことだった。それは、皮を分厚くむいて、噛み切れないほど強くなった繊維質を取り除き、内部の活かす方法だ。この方法は、花芽をとるために残したダイコンを引き抜き、水炊きの薬味に用いるときとか、美味しそうなチリメンが手に入り、下ろしダイコンにしたくなった時などに採用してきた。 このたびは、あまりにもダイコンが立派だった。収穫担当の妻にしてみれば、この活かし方では相すまぬ気分にされたのだろう。新たな活かし方に挑戦した。 まず、太いダイコンの外皮を、ピーラーで縦にむいた。そのむきとった幅広のヒモ状のダイコンの皮を、ザルに盛り、干し上げることにした。「このごろカンピョウが高いから」といったり「煮付けてもおいしいかもしれない」と考えたりしていた。 次いで、皮をむきとった大根を手に取り、かつらむきを始めた。噛み切れないほど強くなった繊維質(バイヤス状)が育っている中皮の部分だ。この中皮を、ハモの骨切りのごとくに細かく切り刻み、キンピラのごとくに調理した。「イケル」。とても赤ワインと相性が良い。 最後に、(中皮もむき取った)大根の内部が残った。まず、その一部を輪切りにしてフロフキ大根を煮始めた。次いで残る部分を握り、ダイコオロシをつくった。最後に残った部分を、先週同様に、小口からイチョウ切りにした。細かく刻んで干し上げ、保存食にする。 |
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ピーラーで縦にむいた |
ザルに盛り、干し上げることにした |
かつらむきを始めた |
繊維質(バイヤス状)が育っている中皮 |
細かく切り刻み |
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