銀座界隈 |
2年間の空白をはさんだ3年ぶりの銀座だった。パリで知るような手頃なホテルがとれた。平常時の2倍の値段がついていた。ホテルのありようだけでなく、街自体の様子にも、少し驚かされた。まるで「ロウソクが消える前の燃え上がり」のようだ。 初日の昼食は、妻のアイデアに従って、8階のレストラン街(行列が出来ていた)をあきらめたが、それがよかった。東京の生徒さんの差し入れと聞いた洒落たサンドウィッチを、屋上の洒落た空間でとった、 この後の2度の夕食、2度の昼食、そして2度の喫茶はいずれも、もっと印象深かった。おかげでよい2泊3日になった、といってもよい。 最初の夕食は、私たち夫婦共通の友だちに設けてもらえた席であり、妻を囲む夕餉だった。料理もよかったが、次から次と飛び出した話はもっと良かった。言われてみれば「一人コックピット」に警戒しなければいけないときだ。プーチンしかり、安倍しかり、と数えてゆきながら、アルプス山中での飛行機事件を思い出し、背筋が寒くなった。 先を見据えようとしない人が多い昨今は、事件で言えば「一人コックピット」を、政治で言えばファシズムを容認しかねない、と言ってよいのだろう。つまり、願望の未来を捨てきれず、必然の未来を見すごしていると、隙がスキと見えなくなるのだろう。 この日は、とても敬愛している書道のお師匠さんにも参加してもらえ、よきアドバイスを得た。私は「字が下手」であることを嘆いているが、「下手でいいのよ」とまず慰めてもらえた。だが、きつい一言を伴っていた。「品さえよければそれでイイノ」 翌日の昼食は、妻のアイデアを真似た。予期せぬ知友夫妻に訪ねてもらえ、展示会場でタップリ話し合ったあとのことだ。地階で弁当を買い求め、屋上を目指した。妻は過日、ある軽症の病に悩まされたが、この生物学者は最近、その重傷にさいなまれた。だから、会えるとは思っていなかっただけに、心行くまで語らった。「おかげで」といっていいのだろうか。付きそいで訪ねてもらえた奥さんと旧交も温める昼の一時になった。 この日の夜も、願いごとが現実になった。30数年来の付き合いがある3人での会食だった。3人は夕刻に落ちあったが、いずれもがフランスはアミアンでの思い出を口にした。「バカな奴だナア」と思われたに違いないとか、「教養がない」と憐れまれたに違いないとか、「その程度の人だろう」と同情されたにちがいない、と悔やんだりした。 迎えに出た訪問先の社長は、帰途アミアン大聖堂に立ち寄った。だが3人は、いずれも見あげただけで「ちょっと、内部に」という気持ちをわかせていない。世界の5大聖堂の1つであり、ゴシック建築の代表的傑作であったのに。 3人はビジネスに間柄だった。1人は取引先のエースであったが、1人は同僚で、営業担当だった。この営業担当は、今や片目を失っている。残る目は「0.6」と、いうが、1人では出歩きにくいようだ、と聞いていた。だが、ヒョッコリと1人で会場に訪れ、私の声を頼りに呼び掛けてもらえた時は驚いた。なぜか「あの博物館を再訪できそうにないナ」と私は切り出した。30数年前に訪れたドイツはミュンヘンにあった施設で、少年時代に戻りたくなったっている。 会食場に場を移し、この3人がなぜ出あい、なぜ今に至るまでになったのか、から語り合った。私が練ったプランにこの2人は載り、2人には人生の大事な時期をこのプランの現実化に割いてもらっている。 工業社会の真っただ中で、時代を画するプロジェクトに関わったわけだが、それが服飾面の事象が関わっていたおかげで、工業社会の破たんを早く読め、商社を辞めたといってよい。バブルの初期に「ポスト消費社会の旗手たち」との副題を付けた著作から手を付けられたし、「土地バブルに踊る愚」を『人と地球に優しい企業』で明言できた。 こうした見方や考え方が、この3人をつなげてきたように思う。同僚は、健康も害したが、ビジネスでもチョンボを犯したと見られている。だが、私はそれを「した」と見ていない。もしこれを「した」と見るなら、私も含め、この豊かな時代に、環境、資源、あるいは気候などはまだしも、国債までジャブジャブ出し、負の遺産を未来世代に残しかねないことをしている世代の罪は、比較にならないほど重い。 この夜の席は、同僚2人の再会を期し、友人に設けてもらえた。そして、同僚をタクシーに乗せた後、友人は北野武の絵が沢山ある喫茶店に誘った。絵は文化が生んだ産物だが、それらの絵はまさに工業社会の産物であった。この峻別が急がれる。 3度目の昼食は、地階で4人4様の用意をし、10時過ぎから例のところに陣取り、あるプロジェクトの近未来を語り合う場にした。 最後の飲食は、朝ドラ「花とアン」(?)で注目され、一時混雑したとかの喫茶店だった。「近ごろやっと」客足がおさまり、「座れるでしょう」と案内された。この友人は、次代を読んだ新事業を始めているが、「いろいろ勉強している」という。海千山千の人がたかってきて、苦労させられているのだろう。 この午後のお茶で銀座を引き払うことにしたが、最後にもう一度眺めてみた。銀座も断末魔だ。この度は、妻の人形ファンの一人と随分語り合えた。何代か続く銀座の住人だったが、今は昔の話を聞くことができた。 銀座の賑わいを創出した一人であろうが、今はその賑わいを食い物にする人たちの巣窟になりかけている。「下手でもイイノ、品が大事ヨ」とのお師匠さんのことばが耳に残る。 |