1週間の整理

 

 なか3日を空けただけなのに、畑の作物はビックリするほど大きくなっていた。家を空ける前に、2日続けてタマネギなどに液肥をまいておいたが、かいがあった。太陽の恵みを植物と共に尊ぶ生き方の意義を、まず再確認させられた。

 ハクモクレンは散っていたし、抜き忘れていたスズメノカタビラなどは花をつけていた。さっそく地道にモクモクの再開だ。花をつけた野草と取り組んだが、その取り組みは、除草だけでなく、移植に精を出すことでもある。

 誰かが儲けると、誰かが損をすることには熱心になれない。種をまかずには刈り取りだけをしたい、という気持ちにもなりにくい。いわんや、出来上がったものを見て欲しくなることがなくなり、創りだしたくなる。この生き方が、そうした考え方にしてくれた。

 この1週間は、小学生時代のクラスメイトが立ち寄ってくれたことから始まった。地元の機関誌に、この人は藤原定家ゆかりの「小倉山荘・時雨亭はいずこ?」という一文をしたためていた。私は(多分、その元となったと思われる論文などを30年程前から集めていただけに)とても嬉しかった。なぜならば、これで「小倉山荘」とか「時雨亭」の自称者が減ることを期待したからだ。

 かつては常寂光寺説が有力、と見ていたが、常寂光寺もかつての説を随分前から使っていない。私も口をつぐんできた。突き止められたところが、似ても似つかぬ空間であったからだ。とはいえ、いまさら自称は許されないが、何故か注意がしにくかった。

 偶然とは面白い。今週は、地道にコツコツから始まったようなところがある。阿部ファミリーの手紙だ。そして『屋根』を観た。前の朝ドラと、今度の朝ドラに思いも馳せた。今度の分には知友も登場するはずだから、次第に中身が落ち着くに違いない。そう期待していた矢先に、つまり工業文明の終焉と、文化の再興(地道にコツコツ)を予感していた矢先に、4著に恵まれたからだ。偶然とは面白い、と思った。

 まず、アイトワ塾生の1人が、わが国の工業社会以前のありようを彷彿させる一書を貸してくれた。子どもが自己リスクで生きていた一時代の記録だ。わが国は、農業体制のまま工業先進国に挑みかかり、散々な目に遭った。その典型が、浮浪児だろう。

 最後に、311の大事な側面を知る一書をもらった。いわば深刻な警鐘だ。わが国の首脳は、さんざんな目に遭う敗戦を学んでいながら、自らが敗戦を再現させている、との自覚に欠けているのではないか。誰かが、もっとひどい敗戦だ、広大な国土を失っている、と言っていたがその通りだと思う。また、別の誰かが、通常兵器1発で、自国のみをねらったような原爆(原発)を持ち続けようとしているといったが、その通りだと思う。

 それはともかく、要注意の時代だ。わが国はともかくとして、次代の潮目を一人一人が自覚して、心を引き締めなければいけない時のようだ。

 この前もらった一書『知事に何ができるか』にならい、「自分には何ができるか」を考えたい。必然の未来を見定めようと勤め、未来が微笑みかける生き方に切り替えるか否かの選択だ。これまでの延長線上には、つまり願望の未来には明るい未来はない。船の上で、良い席を奪い合いながら、船を沈めているのと同じだから。もっと簡単に言えば、自然泥棒に過ぎないのだから。

 仲間にもらった2著を紐解きながら、心を整理しよう、。

 

藤原定家ゆかりの「小倉山荘・時雨亭はいずこ?」
 

論文
 

浮浪児

311の大事な側面を知る一書
 

『知事に何ができるか』

仲間にもらった2著

仲間にもらった2著