本来の自炊はボケ防止さく

 

 4日土曜日の夕食は水炊きだった。花芽野菜をタップリ収穫し、妻が用意した食材や調味料などを用いて一工夫した。これは25年対策だ。

 この時に、残念なことをしている。点検ミスを犯していた。春子のシイタケが出ていたはずだ。妻は帰宅した翌々日に気付き、手を出したが、その多くは2日続きの雨で、大きくなり過ぎていた。妻は小さいものまで含めて一切合財採っていた

 この妻の採り方は尋常ではない。常は、適度に育った分を(調理に必要な分だけ)順次採り、生シイタケとして活かす。それ以上に出た場合は、つまり生シイタケとして活かす範囲を超えそうな分は、まとめ採りをして干しシイタケにしてきた。しかし今回は、それほどの量ではないのに、長け過ぎた分だけでなく、若すぎる分まで採った。そして、「この前、1時間ほど目を離した隙に、全部おサルさんに」と、過去を振り返った。

 このたびの留守番で、私は秘かな楽しみを心に秘めていた。妻はいつものように、31日火曜(妻が出かけた)日の夜から、6回分の夕食と、各5回の朝・昼食のメニューと食材を用意してくれた。ごはん7回分、1袋のうどん(5)玉、そしてパン5枚。カレーとグラタン各2回分、そしてキツネうどん用の煮アゲは妻が造ってレトルトに。その他、エノキなどのキノコ、かまぼこ、あるは豚肉など。

 思ったようにはゆかなかった。冷凍グラタンは午後から自然解凍しておくべきところを忘れ、翌日に回した。そのグラタンを、凍った状態でラップを取り除いておくべきなのに、自然解凍してから取り除き、難儀した、など。

 もちろん、願っていた通りの一工夫をして、つまり25年対策に取り組み、願いをかなえたこともある。わが国は、農産物まで工業製品かのごとくに流通させてきたが、その間違いを五感で実感した。嘉田前滋賀県知事ではないが生活知に欠けている。

 それはともかく、食生活の合理化(美味しくて、栄養価に富んでいて、しかも環境問題やエネルギー問題にまで配慮した食生活)は、段取り1つの是非によっても大きな影響を受けることを再確認した。この課題に真摯に取り組んでおれば、ボケになる恐れは半減どころか、ほぼなくせるに違いない、と思わせられた。

 即席食品化率やコンビニ普及率と、ぼけ老人発生率をグラフ化すれば、ほぼパラレルの関係がはんめいするのではないか。

 このたびは、猿害を振り返り、野菜の髄の生かし方を検討してみたか。とりあえずは、薹たった部分の強い繊維化した部分をめくり取って活かすに留めたが、むきとった部分の生かし方(コンソメ)もいずれ試してみたい。

 25年対策とは、2025年ごろにわが国は、制度疲労を始め、さまざまな問題の顕在化にさいなまれるものと見ているが、それへの備えだ。今の私は、1973年に日本の未来を見定めているが、それに備えた生き方(現在では「アイトワの3つの誓い」と呼んでいる誓いを立てた)を顕在化させたものだ。いわば(死ぬまで続けようとしている生き方)その途中経過だ。なんとか、2025年ごろに日本がその真価(今日では忘れがちになっているが、日本人が歴史的に培い、身に着けてきた文化、たとえば山川草木悉皆成仏など)を発揮する国になっていることを望みたい。そのためには、己の足元を、お互いに地道にコツコツ固めあうことしか道はないと思う。

 安倍さんは、その間逆さまなことをしている。
 

妻は小さいものまで含めて一切合財採っていた

強い繊維化した部分をめくり取って活かす

強い繊維化した部分をめくり取って活かす

強い繊維化した部分をめくり取って活かす