賑やかに楽しんだ
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この日の妻は終日人形教室があった。その生徒さんたちも嘉田さんの大のファンであったことを知り、予定を変更した。急遽「春の花弁当」を丼仕立てに改めてもらい、ワイワイガヤガヤの昼時に。 こうした名を知られた人を迎えた折は、アイトワでは公表しないことにしているが、このたびは楽しいハプニングとなってしまった関係で、ご両者の了解を得て、その様子を明らかにすることになった。 成人女性は、原発再稼働に7割が反対だが、男性は7割が賛成、と見てよい。だからこの日は、多数派の大勢の女性の中に、少数派の1人を加えてもらったわけだ。 嘉田さんはこの日も、「私のお母さん(のような人)」とご紹介の小坂育子さんとご一緒だったが、孫のサクラちゃんもご同伴。好天に恵まれ、囲炉裏場でのお茶の時間をとれた(小坂さん撮影)。 囲炉裏場には、佛大生が次回来訪時に焼き芋を楽しむための剪定クズが山をなしていた。しかし嘉田さんには、むしろそれも楽しんでもらえたようで、「さすがは」と思わせられた。アフリカでのフィールドワークに精通した人だけに、アイトワの庭の仕組みに即座に共感してもらえたように思えたからだ。フィールドワークに精通することでも磨きがかかったに違いない「生活智」論の一環と見た。 サクラちゃんは腐葉土小屋で、ザクザクと出てくるカブロムシの幼虫に大喜び(嘉田さん撮影)。嘉田さんのその慈しみ方(孫の育て方と幼虫の扱い)が強く印象に残った。 小坂さんには、これで3度目の触れ合いを得たが、どんどん引き込まれている。その自然体と、底知れぬ粘り、そして明るさに「学ばなくては」と思わせられている。 琵琶湖を代表する魚(アユの幼魚)の佃煮を頂戴し、久しぶりに賞味できた。それだけにとどまらず、今週の1つのエピソードが出来た。これまではこの幼魚・氷魚を私は「こまい」と呼ぶものと思っていたが、このたび「ひうお」と呼ぶことを教わった。 こうして始まった1週間であったが、週の中ほどで、2度、嘉田さんを思い出している。1度目は、高浜原発差し止め判決ニュースを知った時。これまでの予測では人事異動がある4月以前に出る、と見ていたが、4月になってからの意義に想いを馳せた。 2度目はもう一つの「こまい」に触れた時だ。それは、橋本宙八さんの「終の住処」の「創出し直し現場」を訪れた時のことで、もう一つの「こまい」が組まれていた。こちらのこまいは「小舞」と書き、和式建物の竹を編んだ壁の下地のことだ。 そして、週の後半は長野だったが、そこでもしばしば嘉田さんたち一行を振り返っている。まず、姨捨地域は棚田で有名だが、その棚田は「ガニセ」と呼ばれる暗渠の給水装置で成り立っていた。そうと知った時に、「水問題」でも権威者である嘉田さんを思い出している。「いきとしいけるもの」と「水」の関わりを、かくのごとく馳せている人と私は初めてであったように思い、女性の時代を痛感させられている。 琵琶湖スポーツ大学の学長として、新入学生歓迎の印の1つは、琵琶湖の水をワイングラスで乾杯すること、と聞いた。この琵琶湖の水での乾杯は、昨今の「今だけ」「お金だけ」「自分だけ」的思考から見ると、とてもリスクのある歓迎の仕方だろう。しかし、私はいたく共感した。 まず、「水が合わない」という言葉が常用されていた頃のことを振り返った。そして、「水が合わなかった人」が「あった」ときに身に染みるごとくに感じとった「第2の故郷観」を思い出した。 次に、「真の愛」の1つとして、「次世代人の免疫力を高める教育と実践」を挙げている私としては、共感以上のものを感じている。 このたびは、千曲川や田毎の月に随分想いを駆け巡らせたが、現在の千曲市は、旧の更埴市、戸倉市、そして上山田町の3地域が合併して生まれたと知ったが、この時も市町村合併反対派である嘉田さんを思い出している。市町村合併は時代に逆行と、私も感じているが、嘉田さんも反対派、と知った時の感動だ。 |
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囲炉裏場でのお茶の時間をとれた |
カブトムシの幼虫に大喜び |
このたび「ひうお」と呼ぶことを教わった |
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「こまい」が組まれていた |
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