オチョクラレタ

 

 島崎藤村の生家を過去に3度も訪ねていながら、このたび初めて知るところとなった藤村の行状があった。それは、藤村が美形の姪に身ごもらせながら渡航してしまい、下重暁子さんに「女から見ると、逃げたナ」と言わせたような行状だ。

 このたびの長野の旅では、なぜか網田さんと車中で「ヒトと人」について語らっていた。神(がもしあるとすれば)をも恐れぬ創造性に富んだ「唯一のいきもの」としての「一面=人」と、「あらゆるケモノと共通する一面=ヒト」について、私見を交した。

 その「ヒト」の一面が、他の人々を「あの人が、ナゼ」とおどろかせかねず、誰しもが大なり小なり思い当たるフシを心にかかさせているのではないか、と語らった。そして、私はそのフシにたいしてかなり同情的であり、そのフシをもって他の人を責め立てたことは決してない、と過去を振り返ってもいる。

 私は工業デザインを大学で専攻しており、社会人としては繊維分野に強い商社に就職。そこで、工業デザインの手法を活かしたくて、わが国の既製服化を加速するプロジェクトを多々立ち上げている。その多くで成功をおさめたつもりだが、同時に蹉跌感を深めている。それがこうじて、ついにはファッション業界を去っている。成功率が高まるにつれて、あるミスマッチに悩まされるようになったからだ。

 ミスマッチは、成功をおさめた時に気付かされることが多かった。供給側としては「創造性に富んだ一面」を存分に発揮した場合に成功率が高い。他方、成功したと実感できる場合は、多数の消費者から需要という支持を受けていた。問題は、その支持は「あらゆるケモノと共通する一面」をくすぐっていた場合が多かったことだ。つまり、供給側の「人の一面」と需要者側の「ヒトの一面」が出合い頭の一発勝負をして、需要者の衝動性を駆り立てたときに「ことが上手く運んでいた」ことに気付かされている。

 だから、その反省や反動の証として『人と地球に優しい企業』などを著すようになり、無期限の返品受入れを保証する必要性などを提唱するようになっている。

 同時に、人の弱みとして「ヒトの一面」を観るようになり、その最も端的な例として「客引き手法」などを嫌うようになっている。人が持ち歩いている「金」をかすめ取りたくて、供給側は知恵を絞り、手を変え品を変えてターゲット(標的)に仕立て上げる。「あらゆるケモノと共通する一面」である「好奇心」「食欲」あるいは「異性への憧れ」などをそそり、財布のヒモを緩めさせてしまう商法などを嫌っている。

 こうした警戒心の裏返しだろうか、ターゲット(標的)にされた人への同情心と、ターゲットにされまいとの警戒心を深めたり大きくしたりしている。

 網田さんとの旅を終え、帰宅して、妻と2人になった時に、私は藤村の新たに知った行状を伝えた。妻は先刻承知のようであり、だから「あのような詩がかけるのでしょう」といった。そこでおわらず、「孝之さんには書けないでしょう」と付け加えた。

 「オチョクラレタ」ような気分にされたり、「なめられた」ような気分にされたりしたが、「まあエッか」と網田さんに倣って聞き流している。