妻の一言

 このところ、ミツバの収穫場として新果樹園を選ぶことが多いようだ。かつては竹やぶであり、その落ち葉が積もりに積もっていたし、堆肥の山もこの竹藪にあったから、腐葉土の栄養分に富んでおり、立派に育ったミツバが採れる。

 この日も、妻はむくむくしたミツバをたくさん収穫してきたが、その折に私が待ち望んでいた次のような言葉をはいた。新果樹園にたいする期待の言葉だ。

 今のところ新果樹園は、この庭では2つの意味で特異な場所になっている。1つは、野草が生えるに任せていることだ。野草だけでなく、野菜の種も随分落としていた(堆肥の山には収穫期を終えた野菜の残渣を積んできたが、種を付けた分も混じっていた)ようで、アイトワ菜などが自然生えしている。野草化したミツバや宿根ソバの他に、タンポポやセリだけでなく、ハコベやナズナなど食用になる野草がたくさん生えている。

 2つ目は、土地がとても肥えており、今後とも肥えた土地であり続けそうだ、と期待できることだ。堆肥の山の常設場であり、毎年移動させながら築くので、腐葉土分に満ちあふれた土地であり続けるはずだ。

 妻は真面目くさった顔をして、「畑が出来なくなっても、あそこに行けば大丈夫ネ」と話しかけてきた、そして「私一人分ぐらいの野菜は採れそうネ」とつないだのだ。

 この言葉こそ、私は願っていた。庭で枯れ枝を拾って回れば、週に1度か2度の風呂は炊けそうだし、調理に要する柴などの焚き木は、年老いても集められそうだ、という気分になってもらいたく思っていた。もちろん、薬草や香木なども沢山あるから、健康的な(対処療法を要しない)生き方をしておえば、心安らかに暮らせるはずだ。