念願の歓談の夕べ
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工業社会の破たんを早くから予知し、次代への備えを怠らない知友の集い「パートT」とでも言いたくなる集いであった。経済学、エネルギー工学、そして民俗学(フィールドワーク)の権威者に呼びかけ、夕刻の6時から始めて延々数時間にわたって、話題はつきなかった。 私は工業デザインから始まり、雑学にすぎないが、他の3人はそれぞれが確かな分野で独自の哲学をお持ちだ。分野の異なる4人が、真の豊かさとか美さなどという、抽象的な価値に興味を抱き、そこに希望を託している。この日も、その方向で話題は収斂した。 トッテンさんは、何十年にもわたって仕えてもらっているスタッフが幾人かいるようだが、その語学面でも頼っている1人を同伴だった。彼女ももちろん会話の輪に加わったが、「ビルはこれまで、ブレたことがない」と、断言した。もちろん私も、トッテンさんのブレを一度も見ていない。だから、妻などは「とても優しい人」と憧れている。 でも、里美夫人は「ビル、困るヨ」と訴えることもある。自宅の窓から、公共性に欠けた人などを見つけると、大声でしかりつけるからだ。 小貫先生は、共同研究者の伊藤恵子さんと参加した。共にモンゴルの、とりわけ遊牧民の研究では第一人者だ。それは、異文化の研究に秀でていることを意味している。 異文化を持ち込み、異なる地で己の文化を押し通すことが、文化を最も理解していないことになる、といったことも教わった。だからだろうか、最近、その無茶を「私は文化を大事にしている」といって、己の文化を異なる地で押し通す人に出会っており、とても悩まされているが、それだけにこのたびの集いはオアシスだった。 私は、かつての書生、伸幸さんも同道した。おかげで、義妹の大型車の運転をしてもらえ、小貫先生たちをわが家に心地よく案内できた。 とても楽しいひと時だった。この一時を、トッテンさんのホームページに「鴨川便り・菜園家族」と題して採用してもらった。 |
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