4次元芸術の世界

 

 平面が二次元で、立体が三次元なら、四次元は時間軸が加わるわけだ。まさに生きた庭は4次元だろう。当週は、4次元の喜びに満ち溢れたが、その始まりが厭離庵での催しであった。

 わが国では庭を、三次元芸術ととらえる人が造園家の中に多い。それは、枯山水の心と相通じるところがあるようだ。常緑樹を主にし、果実なる木を避け、年中はもとより、時間をとめたかのごとくにいつ見ても変わらぬ造園の心が現れている。この心は、何を目指してきたのか。

 この日の厭離庵では、そよ風がしばしば座敷に流れ込み、ウグイスが囀り、心地よかった。やがて演奏が始まり、二谷先生一行の艶やかな和服と、四宮先生の黒い羽織はかま姿がほどよく調和し、ゆったりと、時には微細に揺らいだ。さまざまな音色と、声色が、聴く人の聴覚で溶け合った。それらのあふれた分は、まるで壁の土や周囲の緑などに吸い込まれ、溶け込んでいくようであった

 この日、筝曲が山田流にいたるまでの歩んだ道のりを、江戸初期に誕生した浄瑠璃までさかのぼって学んだ。それは好奇心に過ぎなかったが、実に時を得ていたようだ。

 週の後半に訪れようとしていた淡路島では、砂場からゼツを伴った小型の銅鐸まで発掘され(NHK=TVでは、その音色も添えて報道し)ていた。そして、週末に訪れ、国生みの地に佇むことができている。

 そこは、鉄鉱石を産出しない地でありながら、2000年近くも昔に12棟もの鍛冶工房があった地であれば(五斗長垣内遺跡)、人形浄瑠璃の発祥の地でもあった。