祐斎亭

 

 奥田祐斎、武村豊徳二人展の案内をもらい、出かけた。祐斎さんのアイデアと自然(京都の水)の力が織りなす作品に感動したが、それ以上の収穫があった。

 祐斎亭は、訪れるたびに洗練されているように感じる。最初に訪れたのは10年ほど前のことだったが、祐斎さんがこの物件に目をつけ、移って来て間なしの頃だった。

 祐斎亭からの眺めもスバラシイが、祐斎さんセンスとアイデアで加えられてゆく造作を、この度はジックリ眺めることができた。この建物は、祐斎さんの手で守られていることをとても喜んでいるのではないか。

 往路は、亀山公園の中央を通る近道を選び、山を下ってから少し川沿いに歩いた。「羨ましいネ」とつぶやくほどの情景を見た。

 帰路は、私の心臓に合わせて緩やかな道を通ったが、それもよかった。10年程前に、昔の景観(借景)を求めたのか、小倉山の巨木が無残な扱いを受けていたが、それらが自然の力(樹木の成長力)でほぼ旧に復していた。

 このたび、その隣の場所で、10年程前と似たことが試みられていた。これは愚行の再生産(の始まり)でなければよいのだが、願わずにはおれなかった。つまり、今のことだけ考えたような手に入れようで、「自然」のありようはもとより「樹種ごとの性質」を無視したごときありように寂しい想いをさせられた。

 

奥田祐斎、武村豊徳二人展

祐斎亭からの眺め

祐斎亭からの眺め

祐斎亭の造作

祐斎亭の造作

祐斎亭の造作

10年程前と似たことが試みられていた