褒めたくなること

 

 日曜日(5月31日)の夕刻、真竹のタケノコが出ていたことに気付いた。そうと知った妻はヒラメイタ。翌日は3組の夫婦が集う。にもかかわらず妻は教室展が迫っており、バタバタしている。そこで、私に掘らせたタケノコと、自分で摘んだフキとスナップエンドウを活かし、散らし寿司の用意を始めた。昼食時だけでも、と考えたわけだ。

 もちろんその気持ちに私は応えることにした。それは、私が興味を持っている問題を話題にするだけでなく、それが、妻に「ヨカッタ」と感じさせる話題を選ぶことであった。妻は、今関信子さんが情熱を傾けて語る姿にいつも心惹かれ、憧れる。岡部さんが沈着に耳を傾ける姿に、いつも感心する。そうした場面を、と願いながら、話題を選んだ。

 今関信子さんに強く関心を示してもらえた。無口なご主人にも、質問をぶつけ、誘い込んだ。一番盛り上がった時に、昼食時間になった。妻には、今関さんの心境がすぐに伝播するようだ。勇気づけられるようだ。そうしたときの想いを妻は、いつも人形に込めているのではないか。

 結局、この日は、昼食時、記念撮影の時しかご一緒出来なかったが、とても喜んでいた。

 夏キャベツは、青虫に襲われ、うっかりすると青虫のための餌造りをしていたようなことになってしまう。このたびは、妻に虫捕りをまかせたが、何とか合格だった。昼間は青虫捕り、夜には夜盗虫捕りがときどき必要だ。勘所を押さえて捕る必要がある。虫の心になって、全部捕ってしまうのではなく、人間の都合を押しつけながら、棲み分けるように捕る必要がある。かくして、最初のキャベツ・1球目を今週とったが、1.5kgだった。

 今週は、日本エッセイストクラブから会報が届いた。そこに妻のエッセーが乗っていた。ここにいたるまでに、感動を覚えるプロセスを妻は経たようだが、私はこのエッセーに心境を新たにされた。そして、これまでの出来事を振り返っている。

 感動のプロセスとは、この原稿が出来上がるまでの事務局の方とのやり取りだ。言葉など不要のコミュニケーションがある、とでも言いたげな顔をしていた。

 事務局の人飯山千枝子さんと、心が通じたように思う、と喜んでいた。その人飯山さんも、ケイタイやスマホが苦手であるだけでなく、妻と似た心境がそうさせていたと知り、共感したらしい。

「私もケータイは持っておりませんので、災害時には助からないと言われております。そして、土や草や葉や木に触れないと精神的に不健康になります。その結果、集合住宅の狭い庭は20種類ぐらいの緑がひしめいて、夏になると、いたるところに蝉の抜け殻が見られるという状態です」

「私事で恐縮ですが、30年ぐらい前、ニューヨークに住んだ際に、日本から野菜の種を持っていって28階のべランダでナスやらピーマンやらトウモロコシなどを栽培しました。息子は、小学校から帰ってくると、べランダに出て、トマトを食べておりました。

 挙句、地域新聞に、「スカイ・ガーデン」と紹介されました。

 私は東京生まれですが、32歳ぐらいの時に、がぜん土いじりに目覚め、お米と麦を除いて、大抵の物は作れるようになりました。

 災害時には、直ぐに発芽する種をもって逃げようと思っております」といった交信もあったという。

 わが家では、小鳥の救急手当をすることが時々ある。ガラス窓にぶつかり、脳震盪を興すからだ。そうした時に、私の場合はすぐには逃げ去るが、妻に助けられた小鳥はすぐには飛び去らず、私が写真に収めようとするまでと留まっていることがある。

 ウリボウにいたっては、放すと妻にすり寄っていた

 NZでも驚かされた。海辺でのBBQの日に、夕刻に大型のカモを浜で見かけた。「パラダイスダックだ」と友人のレイさんが叫んだ。

 妻は、時間をかけていたが、案の定と思うことを試みていた。もっと驚いたのは翌朝だった。早起きの私はひとしきり浜場を散歩。そして浜の家に戻ったときのことだ。寝坊の妻を訪ねて、その。パラダイスダックが訪れていた。

 言葉など不要のコミュニケーションを思い知らされたように思った。
 

妻に助けられた小鳥

ウリボウは、放すと妻にすり寄っていた

パラダイスダック

寝坊の妻を訪ねてパラダイスダックが訪れていた