親切が仇に

 

 カフェテラスの屋外用椅子は選択を誤っていた。建築家の友人はデザイン重視で選んだようで、機能的に問題があった。これは私の責任だ。妻も、デザインが気に入っただけのことで、機能面の注意は私が払うべきであった。

 要は、後の祭りだ。雨ざらしや、カンカン照りに強くない椅子だったことを思い知らされている。やむなく、補修したり、長期間未使用の場合は収納したりして置くなどの対策が望まれるわけだが、多忙でもある妻は対応せずじまいになりがちだ。

 妻は人に指図して動いてもらうのが苦手だし、自分でこまめに動くゆとりがない。だから、いつも放ったらかしになる。

 もちろん、こうした事情を私は十分承知している。だから、この日も、大勢の学生を迎えることになっていたので、学生に手伝ってもらって収納し要、と提案しかけたが、衝突した。全部を私が語る前に、妻は「非難」か「あてつけ」あるいは皮肉」に違いないと考えたのだろう。それは私の不徳のせいか、いつものことだ。

 本来なら「バカモノ」とでも言いたところだが、この日はなぜかググッとこらえながら起きだし、カーテンを引いた。空は明るくなっていた。

 そこで、「やみそうだ」というと、妻は気分を一転したようで、機嫌をとり直してくれた。いろいろありそうな1日の始まりだった。