新聞の読み比べ

 

 新聞各紙が置いてあるところに出かけると、読み比べることにしている。これは、サラリーマン時代は仕事の一環だったし、その後は習慣だが、朝日バッシングの後は、心して読み比べて来た。このところ一紙しか購読しておらず、朝日に絞ってきたことに問題はないか、との心配がそうさせてきた。

 この日も「毎日か朝日かのいずれかに絞ろう」と考えながら日々を過ごし、下した判断でヨカッタ、とまず思った。あれだけ、バッシングされたのだから朝日にしぼろう、同じ過ちはしにくいだろう。いわんや、時の政権に媚びるのではなく、不都合な報道があれば、それこそ真剣な記事(ジャーナリズムの本来の使命の遂行)であろう、と思うことにして下した判断だった。

 両紙の関東販一面に、自民の元重鎮4氏が揃って映し出された大きな写真入り記事が載っていた。安保法制に「黙っているわけにはいかぬ」との反対表明であった。過日の、憲法学者3氏揃っての国会での反対証言や河野元衆議院議長に次ぐ反対表明である。残念ながら、朝日の関西版には一面記事に写真がなかった

 他紙は、こうした重鎮の表明を、無視したのではないか、あるいは、無視したいようだ、と勘繰りたくなる扱いだった。多様性の無視ではなく、国民の判断力を損ないかねない行いではないか、との偏向さえ他紙には感じた。もちろん、この逆のことが、毎日か朝日にもないか、睨み続けたい。要は、時の権力に迎合するのではなく、物言うジャーナリズムの本来の使命の遂行を私は望みたい。それをも知った上で、支持するなら時の権力を支持したい。大本営発表の再来に賛同したくない。