イギリスの奥の深さ

 

 新築家屋の居間に採用したカーテン地が「選び抜いたすえに、ウイリアム・モリスの柄であった」と知り、なんとしても見せてもらいたくなった。その人は、選んだ時に、モリスの何たるかや150年も昔の柄であったことを知らなかった。

 モリスといえば、私の人生を変えた人、といえなくもない。少なくとも処女作の『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』は、モリスのおかげで誕生した。そのおかげで、完結篇である『エコトピア便り』にいたる著作につながった。それだけにモリスの思慮深さやモリスを活かし続けているイギリスの奥の深さを痛感した。

 そのような想いを瞬時に振り返りながら、さまざまなことに思いを馳せた。最近、ある問題で日中は国連で張り合ったが、イギリス(歴史的に日中と似た縁をもつ)が、見事な回答(ガス抜き策)を出した(と私は睨んでいた)ことも振り返っている。

 それはともかく、処女作はとにかく難産だった。深い思い出がある。それは作成中だった「建白書」(商社を辞めて失職中だった私を拾ってくれた会社があり、その社長宛)が変じた一書(辞職したために)だが、ウイリアム・モリスを取り上げていなかったら日の目を見ていなかったはずだ。編集人は、モリスに造詣が深かった。

 出版日の週末から(と記憶している)編集人に誘われ、ウイリアム・モリス研究家と3人で、その足跡をたどる旅に出ている。

 有名なインテリア関連専門店では、150年も昔に生まれたモリス柄のカーテン地(別注生産に応じる)を、デザイナーズコーナで扱っていた。そうした生地を用いた民間家屋(公開していた)も訪問した。天井(タバコで黒ずむ)や、椅子のひじが当たる部分などは150年の間に幾度も張り替えられ、生かされていた。

 ひょっとしたら、その補修に(用いられる生地はほんのわずかな要尺に過ぎないが、張り替えの手間賃などを含めると)かかる総経費は、新しい生地を用いて総張り替えするよりも高くつくのではないか、と思ったものだ。同じ額のGDP貢献なら、実質的にはいずれが望ましいことか、とその是非まで考えている。資源の消費量や環境への付加。あるいは住人などの精神状態(誇らしげさや、愛着など)や、そこで育つ子どもたちへの教育効果。そのような是非まで考える旅になった。

 そうした是非の差の積載がこのたびの「エリザベス女王の判断」に結び付いているのではないか、と憶測したくなっている。

 残念ながらこの度、またもや世界の核廃絶に関する想いは1つにできなかった。原爆の唯一の被災国であるわが国の姿勢が、その残念な結果に大いにかかわっていたように思う。曖昧で、一方的な姿勢が、あえて言えば自虐的な姿勢が、さまざまな事情を持つ国の人々に、言葉にできない息苦しさを感じさせてしまった、に違いないと思う。

 わが国は、世界の要人に、核兵器被災地である広島と長崎を訪れるように勧めた。「その通り」と私も思った。広島のそれは、幾度か訪れた。そのたびに同じことを考えている。でも、中国は、その被災には原因があり、結果だけの注目には問がある、と指摘した。細菌兵器の開発や、毒ガス兵器の試用で、何百万人という民間人を犠牲にしている。

 あらかたの国々は、被害と加害を共に明らかにすることこそが肝心ではないか、と判断したようで、日本の片方だけのアッピール案は退けられた。とても私は残念に思った。

 まず頭をよぎったことは、安倍首相の啖呵(オリンピックを東京に誘致したいとの思いが切らせた)だった。「コントロールされている」「ブロックされている」との真っ赤なウソだった。核兵器による被災も問題だが、核の平和利用という名の下で自国民に蒙らせる被災も問題だ。いわんや、その被災者は未だに得心していない。1人の責任者も出ていない。保証も済んでいない。再発した場合の心構えが何もできていない。にもかかわらず、再稼働されかねない方向で進んでいる。「それを棚に上げて」と、感じた人が、「日本の原発被災者が気の毒」と思った人が、大勢いたのではないか。

 そう思っていた矢先に、これまでに触れた「米研究者ら187人の安倍首相への提言」(前回の当週記で集録)が着々と用意されていたことが、そして首相の立場をおもんばかったタイミングで届けたことが、あるいはそのダメ押し「欧州からも賛同続々、計457人」(これも前回の当週記で集録)も知った。

 それ以上に深い日本国民へのメッセージ性を感じたのが「エリザベス女王の判断」だった。ドイツ国民はこの度も胸を張ってエリザベス女王を迎え、加害の施設に案内するだろう。我が国は、その上に9条を持っている。悪しき加害(過去の戦争がもたらした悪しき加害は、世界の人が知っている)は、戦争がもたらせたものである。我が国はその戦争自体を否定し、関わらないことを誓う9条を持っている。