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アイトワ循環図

 目的と手段化、そして大目標 15/06/28

 当週は「エネカンの集い」で始まったようなものです。新宮先生に誘われたのを幸いに、ルーチンワークを定例より早めて済ませ、アイトワ塾の有志と一緒に参加しました。また、翌日は、リクチュールプロジェクト関係で動きがありました。京都での第3回開催の準備です。ここらあたりで、将来の見通しをシッカリ立てなくては、と思わせられています。

 将来の見通しといえば、なんといっても若者のために役立ちたい、が原点です。どのような時代を迎えても大丈夫、という心構えを若者に授けたい。それが、将来の見通しを明るくする定石だと見ているからです。己の体と相談しながら、この定石を打ち続けたい。

 その1つが、自然発生したアイトワでの若者プログラムだ、と思います。1986年から意識的に取り組み始めましたが、佛教大学生とは6年来定例化しています。アイトワの庭で、庭仕事を通して生きる術や心構えを学びあうプロジェクトです。ここで、その一面を振り返っておきたく思います。おりよく先週は、2か月前から手がけていた4つの作業が、ほぼ完成の域に達しています。その作業を通して、私が若者に何を授けたく思ってきたのかを反省してみます。それは、一言でいえば、自発性、創造性、あるいは計画性などを合体させる動き方を、習い性としてもらおうとの願いです。

 このたびの4つの主たる作業は、完成までに3か月を要しました。月1回の割で計4回の仕事であったわけです。個離庵前アーチの基礎作りは、セメントを次回に流せば完成ですから、5回目になります。温室から個離庵に至る石畳の小路作りは、まず用土の確保から始めています。その用土は、野小屋脇の土手を削って得ましたが、それが今月の作業を必要としました。つまり、削ったあとを完成の域にまで美しくすることでした。

 この美しくすることが目的であるわけですが、私はこの「目的を手段にする」心を養ってもらいたく思っています。削り取った土で、新たに小さな「ミツバ畑」を作ってもらうことにしたのです。それは、個離庵造りに伴う下水工事で荒れた所の整備です。

 人類は今、混沌とした状況にありますが、それは大転換期であるが故です。質的転換が求められています。しかし、安倍首相は量的繁栄を追い続けており、太平洋戦争での失敗を再演しようとしているようなもので、財界も安倍政権にすり寄っており不気味です。

 このようなことは学生には話せないし、話している暇はありません。ひたすら、どのような時代になろうとも、むしろたくましく生きる知恵と勇気を身に着けてもらいたい、と願っています。次代が微笑みかける美意識や価値観を感受する心を磨いてほしい。

 そのような想いで、4つの作業には日月をかけてとり組んでもらいました。「はんたか」の付属品の塗装では、どのような順番で塗れば上手く塗れるかだけでなく、乾燥の時間を設けながら塗ることができるか、も工夫しながら進めてもらいました。

 最も難しかったのは個離庵前アーチの基礎作りであった、と思います。それは、私が学習効果を願って、いわば一種のイジワルをしたからです。作業効率を追求する場合とは逆に、失敗を重ねさせながら感覚を磨く作業のし方を選ばせたからです。そして失敗を自覚させるために機器などを小出しに取り出しています。かくして学生は仕上げましたが、私の目から見れば、いまだ未完です。それはセメントを流し込むのが次回になったからではありません。きっと彼らは、何年か先にアイトワにやって来てその未完に気付くことでしょう。それが私の大目標、「記憶(期待)」と「記録(事実)」の違いの実感です。
 

「エネカンの集い」では幾つもの楽しいことがあった。新宮先生のご夫人にお目にかかれた。アイトワ塾生が4人も参加した。理科系の仲間の集いだが、とりわけ懇親会では三々五々に、文科系よりはるかに高度な話題も飛び出していた。何よりも心を惹かれたのが奥彬さんの「アップスパイラル」の話。これは研究者ご本人と再会し、改めて文字にしたく思う。新宮先生の「神様は何処におられるのか?」に共感。他にも、オパールのごとき宝飾品の開発過程のエピソード。ヒ素カレー事件に関する疑問。あの死刑囚が関わったヒ素は、毒カレーに入っていたヒ素とは別物であった、とか。有機太陽光発電方式があり、温室のガラス部分で発電させるような仕掛けも可能とか。

アーチの基礎作りは、3度にわたってやり直させた。4つの足元を、高低差などを人間のバランス感覚だけで揃えようとする作業だから、かなり難しい。だから人間はモノサシ、水準器、あるいは磁石などを生み出し、駆使するようになったのだろう。だが私は、こうした機器を与えず、作業の目的だけを伝えた。このたびの学生も、若い頃の私と同様に、人間として持ち合わせているバランス感覚だけで作業に取り組み始めた。そして、「これで、うまくできた」と思って、私の点検を求めた。もちろん私も、若い頃は、こうした機器を用いずに取り組んでおり、「うまくできた」と思いがちになっていた。そこで私は、「そこは高低差が狂っている」などと、私のバランス感覚だけで点検し、間違いを指摘し、修正を求めた。それは、取り組んでいる学生に独自のバランス感覚を磨かせたかったからだ。そのたびにコンクリートの基礎を掘り出し、据え直すわけだから、やがて学生はアゴ をだす。ついに怪訝な顔を返すようになる。そこで、やおら「そうだ」とばかりに水準器を取り出してきて、確かめさせた。ついに、「もうこれで」と言った顔を見せた時に「待っていました」とばかりに完成の域と認め、次の課題、寸法の差の狂いの修正に移らせる。こうして、学生なりに完成と思い込んだ時点で私も受け入れる。だがそれで「ようやった」とはいわない。その上で、さらに「3cmほど狂っている」と指摘した。そしてモノサシ 代わりのものを持ち出してきて与え、計らせた。学生は指摘された通りの狂いがあったことを認めたが、私は直させずに、これを持って完成とさせた。決して間違いを見逃させたのではない。その狂いを機器を駆使して改めた方が、例えば強度的に、例えば美的に、価値を高めるのか否か、と問われたら、私にもわからない。あえて言えば、機器を駆使した正確なものなら、誰にでもできる。かくして次回、つまり1カ月ほど日をおいて、セメントを詰めさせることにした。その時に、彼らはやり直しを望むか否か、わからない。望まなくても構わない。きっと彼らは記憶のなかで、己のバランス感覚の成長とともに、この3cmの狂いを記憶から次第に消しさって行き、いずれは「狂わせずにうまく作っていた」はずダ、と思い込むようになるに違いない。それが、ままありがちな記憶上の「期待」だ。将来、その期待の思いを込めた目をもってアイトワにやって来て ほしい。そして、初恋の相手との何年振りか、何十年ぶりのごとくに「現実」を見てほしい。


石畳の小路作りは、ディスクグラインダーを駆使した。リーダーは、この作業を選んでいたが、ディスクグラインダーの試用はためらい、男子学生が挑む姿を熱心に眺めていた。私はそれをほほえましく見つめた。女性には女性の適性がある。彼女は、男子学生の仕事ぶりを見つめながら「おじいちゃんは石工でした」と誇らしげに語った。彼女にとって「おじいちゃん」がよりいっそう愛おしい人になってほしい、と私は願った。


野小屋の側の土手の赤土削り

小さなミツバ畑 円内は、ミツバ

野小屋の側の土手(「室」があるところ)の赤土削りと、その土を活かす作業は、学生には意外に思われたかもしれない。この赤土削りは、石畳の小路作りに要する用土を取り出す手段であり、その手段を学生は速やかに成し遂げていた。学生はこの土手(崖)を用土の確保場に過ぎない、と見ていたに違いない。用土を取り出したことをもって役割を果たした、と思っていたに違いない。その証拠に、取り出した後の土手(崖)の姿には興味も関心も示してはいなかった。それが未完と指摘され、キョトンとしていたように私には見えた。学生の身にすれば、それで当然かもしれない。しかし、私はそこで、待ったをかけた。私は、現場で、土を削られた側の崖の姿が、どうすればより美しくなるか、と語り出した。やがて学生は、未完であったことに気付いていたに違いない。その未完を完成形にする作業に取り組んでいた。この未完を完成形にする作業を学生は新たな目的にしたことだろうが、私は「それではイケナイ」と指摘し、この作業を手段として活かさせることにした。その土を活かして、小さなミツバ畑を造らせたわけだ。個離庵の下水道工事などのために荒れたところがあった。その場は木陰なので「ミツバ畑」にもってこい、と私は睨んでいた。そこで、土手を削りたし、跡を美しく仕上げ、そこで出た土でこの小さなミツバ畑を造る手段ととして活かさせた。学生に、ミツバ畑を造っているとの実感をより確かなものにさせるために、私は前もってその側に、花を咲かせたミツバを植えておいた。土を被せるところには、他のところで刈り取った草(いずれ有機肥料になる)をたくさん積んでおいた。また、被せた土が雨で流れ去らないように、土留めの石も据えておいた。


「はんたか」の付属品の塗装は、さび落としから始めた。「どこまで磨けばよいか」との質問があり、その是非の差は、やがて「塗装のはがれ方」となって表れる、と応えた。「はがれないようにするには」との質問には、私ならこうする、と見本を示した。この作業は、けっこう難しい。とりわけ立体的な付属品があったが、この塗装を手際よく塗り上げるのは難しい、と見た。手で持ち上げて塗れる間に済ませておくべきことから始め、最後に塗ればよいところを見定めておく必要がある。この日、この作業に携わった学生は、実に丁寧に塗っていた。その途中で、塗料を乾かせる時間を設ける必要があるとみたのだろう、手を休めていた。そして、この作業の側で繰り広げられていたディスクグラインダーを駆使する作業に目をとめ、「オレにもやらせろ」とばかりに手を染めていた。良いことだ、と思った。複数の作業を手分けして取り掛かる場合であれ、すべての学生に途中で役割を交換し、一通り体験するように勧めている。自分の得手に気付かせたく思っている。


赤土削りと、その土を活かす作業は、力仕事だ。この作業を選んだ学生は、とてもハッスルして早々とし終えた。そうした場合に備え、幾つかの仕事を用意していたが、この日は薪割りに挑ませている。それは力だけでは不十分な何かがあること気付かせたかったからだ。薪を束ねる作業も、コツがある。こうしたコツに目覚めさせたい。その仕上げとして、学生各人に、束ねた薪を母屋の軒下まで運び上げてもらった。その薪を、次回までにきれいに摘み直して置きたい。きっと彼らは、心の中で、そのように積んでいた、との想いを抱きながら眺めることだろう。かくして、感覚は磨かれるのではないか。